メディアから消えた娼妓-娼妓と芸妓の地位が逆転した事情 2-(松沢呉一) -3,301文字-
「私娼に負けた公娼-娼妓と芸妓の地位が逆転した事情 1」の続きです。
芸妓は地位が向上
芸妓は雑誌に写真が大きく掲載される。絵葉書ブームによって芸妓の写真は全国にばらまかれる。モデルという仕事が確立されておらず、さりとて素人さんは出たがらなかったため、芸妓は町娘、茶摘み娘、女学生などに扮して絵葉書に登場し、それもまた多くのファンをつかんだ。ギャラも出ていたんだと思うが、それによって客も増える。
映画に出たり、レコードを出したりするのもいたし、歌舞伎役者との色恋が新聞や雑誌で報じられ、一躍、芸妓は時代の花形となっていく。
それまで添え物であった芸妓が脚光を浴びたのは花柳界の戦略もあって、「芸者は芸を売っても体は売らない」という、現実とは遠く離れたキャンペーンを展開したこともこの流れに一定の寄与をしたのだろうと想像する。娼妓たちも芸事はやっていたわけだし、どちらも前借で縛られていたことには違いがないのに、脇役だった芸妓は主役の娼妓を切り離していった。
このことが戦後、売防法の対象から芸妓が外れることにもつながっていく。娼妓がデマをともなって悲惨話の主人公とされ、蔑視されていったのに対して、芸妓は生き延び、かつて娼妓が受けていた憧憬や敬意さえも集めるようになっていった。理不尽である。
実のところ、その理不尽さを支えたのも廃娼運動だったと思われる。
※顔が見えないが、女学生という設定であろう絵葉書で、この時代のモデルはたいてい芸妓
廃娼派は私娼や芸妓をなぜ問題にしなかったのか
廃娼運動は公娼制度を積極的に叩き、より問題が多くあった私娼を対象にはしなかった。一切触れてないわけではないが、芸妓も私娼も娼妓のついでのように否定するのみであった。
群馬県の例で明らかなように、公娼を廃止しても私娼が跋扈するだけだ。公娼より私娼に問題があるとすると、公娼制度廃止という主張が揺らぐ。公娼廃止により、さらなる人権侵害をもたらすことになるのだから、彼らは私娼には触れたくなかったのであり、群馬県で廃娼を実現したのは「成功だった」と強弁するしかない。
公娼ばかりを批判したのが、「公娼のように公権力が国民の下半身に直接関与する制度はけしからん」という理由なら理解できるし、私も賛成できる。欧米で公娼制度が消えたのはおおむねそういう理由からであろう。その分、個人売春は地域を限定して容認したり、黙認したり。
しかし、この国の廃娼運動は宗教道徳が根底にあるため、個人の売春も許せるはずがなく、その際に「公娼があるから私娼がある」という空論を掲げた以上は「事実を見ない」「事実をねじ曲げる」ということになってしまったのだろうと想像する。
日本を含めて公娼制度がなくなった国でも売春はなくなっていない。ヨーロッパ、北米、オセアニアの各国で、かつての公娼制度ではない形での売春の合法化が進んでいることでも彼らの主張の間違いははっきりしていようが、間違いを認めるような人々ではない。
しかしながら、彼らのこういうやり方はこの国では成功をした。キリスト教のそれではないとしても、同類の道徳観を持つ人々が多かったためだろう。
※美人絵葉書。おそらくこれも芸者がモデル
娼妓にのみ起きる不可思議現象
廃娼運動はこの社会の支配階層に食い込むことを重視していて、議員だのその妻だのを取り込んでいく過程で、芸妓までを対象にすることが得策ではないと判断したのだろうと推測している。政治家は料亭政治をやっていて、芸妓を愛人にしていたのも多い。その妻は、元芸妓だったりもするのだから、敵に回したくない。
(残り 1940文字/全文: 3480文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ