松沢呉一のビバノン・ライフ

女工と娼妓を比較する-『女工哀史』を読む 1- (松沢呉一) -3,697文字-

このシリーズはもともと「『吉原炎上』間違い探し」の一部としてネットで公開したものなのですが、あまりに長く、また、『吉原炎上』から離れてしまうので、今回は独立させました。この部分で記述されたことの一部は「『吉原炎上』間違い探し」シリーズに組み込んでいるのですが、こちらにもそのまま残っているところがあります。つまりは重複しているってことなのですが、文脈と文章は違っているので、お許しください。

なお、特記無き写真はすべて本文とは関係のないイメージ写真です。

 

 

 

女工の実情を暴いたノンフィクション『女工哀史』

 

vivanon_sentence明治時代、娼妓や芸妓になれるほどの器量がなく、学歴も技能もない女子がまとまった現金収入を得るには、女工になるのがもっとも確実な方法であった。

工場で働くには身体検査があって、病気持ちでは働けなかったが、小学校も行っておらず、見た目が美しくなく、粗野な言動しかできなくても、体さえ丈夫であれば雇ってくれたのだから、遊廓より、ずっと広く門戸を開いていたわけだ。

しかし、女工の生活は、娼妓の比ではなく悲惨であった。その実情は、かの細井和喜蔵著『女工哀史』に活写されている通りだ。

女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)女工哀史』は明治時代、大正時代の女工の実態を生々しく描いていノンフィクションである。

「前借で縛られ、自分の意思で辞めることはできなかった」「自由に外出することもできなかった」「稼いだ金のほんの一部しか手にできなかった」などなどの遊廓批判に対して、私は「それらはすべて日本中の多くの産業で行われていたことであり、遊廓に限ったことではない。それらはすべて改善すべき点を含んでいたのは事実として、なぜ遊廓だけの問題だったように言うのか。時にデマまで入れ込み、あまつさえ現在の性風俗産業否定にまでつなげるのであれば、日本の現在の工業、日本の近代化も全否定しなければ筋が通らない。この糞道徳主義者が。何を言われているのかわからんのだったら、『女工哀史』を読んで一から出直せ」といったことをこれまでに何度か書いている。

しかし、『女工哀史』の具体的な記述を取りあげて、遊廓と比較したことまではなく、また、他の人が近代に入ってからの日本の産業と遊廓を比較しているのをあまり見たことがないため、この機会にこの作業をやっておくことにした。

 

 

今も続くダブルスタンダード

 

vivanon_sentence「いかに女工の環境がひどかったとしても、遊廓が容認されるべきではない」という意見は当然あるだろう。しかし、よりひどい女工に目を向けず、遊廓に対してはデマまで弄して否定するとなれば、そのダブルスタンダードの欺瞞を問われてしかるべきである。

遊廓のみの問題かのようにすることで、あらゆる産業で行われていたことを見ないようにしているだけなのではないか。

さらに過酷な労働が大規模に行われていたにもかかわらず、そちらに目を向けず、こと遊廓のみを問題にするダブルスタンダードは当時から存在していた。なぜこのようなダブルスタンダードが成立していたのか。

以降、具体的に見ていくが、これは細井和喜蔵自身が「公娼制度撤廃論者」に対して『女工哀史』で問うていることなのだ。なぜ彼らはその問いに向かい合うことがなかったのか。

そして、なぜ今もそのダブルスタンダードを駆使する人たちが多いのか。より過酷で大規模な問題に目を向けると都合が悪いからだ。そのことを見ていくためにも、まずは事実を知るべきだろう。

 

 

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