松沢呉一のビバノン・ライフ

女工は性的肉体をも提供していた-『女工哀史』を読む 7-(松沢呉一) -3,210文字-

地震で多数の女工が亡くなった-『女工哀史』を読む 6」の続きです。

 

 

 

夜の相手もする女工たち

 

vivanon_sentenceそう簡単に単独の外出はできなくても、遊廓ではたいていの商品が入手でき、着物やかんざしのような贅沢品も買え、懇意の客にねだれば買ってきてもらうこともできた。

客との恋愛は御法度とされていながら、身請けされれば、借金を返済してくれ、なお色をつけてもらえるため、楼主にとっても歓迎すべきことであり、相手が金持ちで、身請けの可能性がある限り、本気で好きになったところで咎められない。

対して女工たちは男と知り合う機会もない。工場内では男子工員たちがその相手になり得るが、男子寄宿舎に女子は入れず、女子寄宿舎は男子は入れず、工場の外でデートをすることも難しい。それがバレると罰金である。それでもやる人たちはやっていた。

「恋愛が女工たちの唯一の娯楽であった」というより、「セックスが女工たちの唯一の娯楽であった」とさえ言えて、このことをよく表す文章はのちほど見ていく。

工場で御法度なのは、末端の労働者同士の恋愛沙汰であり、工場長や組長といった役付は、やりたい放題だった。目をつけた女工に言い寄り、断られると、重労働を強いるなどの嫌がらせをする。まさにセクハラである。さらには、自由に呼び出す権利があることをいいことに、個室に呼び出して半ば強引に関係する。

これに対する処罰規定もなく、細井和喜蔵自身が知る話として、数十人の女工に手を出し、そのうちの数人は妊娠し、それでも出世した例が書かれている。

 

 

女工の性的実情

 

vivanon_sentence女工哀史』でも、その事情がわかるように書かれてはいるが、戦前のことのため、それでもなお控えめに書いているのではないかとも思われる。これは稀な例では決してなく、広い範囲で行われていたことが他の本にも記述されており、データからも推測が可能だ。

「娼妓になる前の性病感染率」にあったように、女工の梅毒感染率は高かった。工員同士のセックス、役付の男たちとのセックスが広範囲で行われていたことを示唆しよう。もちろん、これも工員になる前からの感染が含まれているわけだが、酌婦同様の感染率だったことはそれだけでは説明できない。

「女工よりも娼妓の方がマシだった」と言うと、「そうは言っても、娼妓はセックスの相手をしなければならない。貞操を犠牲にしていたのだ」と反論する人がいそうだが、事実を知らないだけ。知ろうとしないだけ。女工たちもまた同じであったのだ。

娼妓は、客に縁切りを告げて、出入り禁止処分にすることもできたが、女工ではそんなことはできるはずがなく、イヤな相手でも断りにくい。その点でも女工の方が過酷だったとも言える。

ただし、一方的に女工が被害者で、泣き寝入りするしかなかったという見方は必ずしも正しくないかもしれない。

女工哀史』には、寄宿舎主任が自分の愛人になった女工を「世話係」という役に引き立て、その世話係の女工が他の女工の金を窃盗していたなんて話も出ている。寄宿舎は男女別だったが、寄宿舎主任ともあればどうにだってできたのだろうし、女工の中にも、権力のある立場の男にすりよって甘い汁を吸おうとするのがいたわけだ。いつの時代も同じだ。

さらに驚くべき実態が書かれた本もあって、これについてはまた別立ての原稿で説明する。

 

 

公娼は美を求める自由があったと細井和喜蔵は書く

 

vivanon_sentence『女工哀史』を読む 3」に、細井和喜蔵が娼妓と女工を比較した一文を引用した。あれには続きがある。

 

 

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