感染したら殺される-『女工哀史』を読む 5-(松沢呉一) -3,070文字-
「籠の鳥より不自由だった女工-『女工哀史』を読む 4」の続きです。
数百名の女工が殺された?
感染性の病気が工場で発生したらどうなったのか。
『女工哀史』には、明治時代にコレラが発生した大阪の工場の話が出ている。工場医が患者を隠そうとして、外部の医療機関に渡さなかったため、工場の内部に蔓延した。慌てた工場主は、それ以上の感染を防ぎ、治療の手間を防ぐため、医者を買収して感染者に毒を飲ませ、数百という単位の女工が殺されたとある。
「いくらなんでもこんなことがあるだろうか」と疑わないではいられない。
明治時代まで、コレラは繰り返し猛威をふるい、その度に万単位の人が亡くなっている。一人でもコレラが発生したとあれば、工場は操業停止になるため、隠そうとすることは十分あり得るし、感染した以上、死ぬ可能性は高く、だったらさっさと殺してしまった方が損害は少ないと判断したことがあり得ないとも言えないが、コレラで大量死した際に出た、裏の取れていない噂だろうとは思う、おそらく。
それでも医療体制が内部で充実していた点だけは、遊廓よりもマシだったと言えるが、遊廓では、すでに出てきたように、多くは二間か三間ある立派な部屋で、絹の布団で寝ることもできた。客も入る場所なのだから、寒さに凍えるなんてこともない。その点では女工よりはるかに恵まれていて、吉原病院が隣接していたのだから、医療体制もさして変わりはない。
コレラはともあれ、安静にしていれば治る風邪のような病気であれば、医者にかかるまでもなく、娼妓は広い自分の部屋で寝ていればいいだけのことだ。
遊廓でコレラが発生して娼妓たちが毒殺されたなんて話は噂レベルでも私は読んだことがない。医療体制が充実していて殺されかねない工場と、殺されることはなかった遊廓と、果たしてどっちがひどい環境だったのか。
殺されたのが本当かどうかはわからないのだが、細井和喜蔵が「女工の方が娼妓よりひどい」としたのは決して間違ってはいない。
女工と娼妓の環境差を作り出すもの
娼妓と女工が置かれていた環境の大きな差は、仕事の特性の違いから生じている。遊廓では職場と住居が同じだ。そこに客を招き入れるため、部屋や調度品が粗末では客が寄り付かなくなる。
(残り 2260文字/全文: 3234文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ