松沢呉一のビバノン・ライフ

女工たちが夢見た未来-『女工哀史』を読む 11-(松沢呉一) -3,278文字-

金銭面でも女工と娼妓は雲泥の差だった-『女工哀史』を読む 10」の続きです。

 

 

 

細井和喜蔵の女工評

 

vivanon_sentenceしかしながら、娼妓より悲惨な女工の生活を、女工自身が嘆いていたとは限らない。

女工哀史』では、その環境の悲惨さを細井和喜蔵は強く批判しながら、「では、実際に女工たちはそれをどう感じていたのか」については、今ひとつわかりにくいところがある。

工場の労働環境を見た時に、「虐げられた哀れな女たち」という印象を抱いてしまうのだが、細井和喜蔵が女工を直接描写する言葉には容赦がなく、そのイメージとは大きく違う。

女工は普通の女より以上猜疑心が深く、嫉妬心に富むのである」「女工達は、仕事上の話しやごくつまらなぬ世間話などしても、これを直ぐ色恋の語らひだと思ひ込むのである。故に男と女は迂闊り(うっかり)雑談も出来やしない」「女工に限らず醜女には総じて僻み根性を有った者が多いけれど女工のそれにはまた格別の趣きがあり、その根性悪さと来ては全く『鬼婆』といふ形容が掛値なしに当て嵌まるやうなのがゐる」といった具合。

細井和喜蔵は工員時代に「鬼婆」たちにどれだけイヤな目にあったのかと想像しないではいられない。

細井和喜蔵は、女工たちは教育を受けていないために粗野で無教養で非文化的なところに置かれたままだと繰り返し嘆いていることから、細井和喜蔵と同じように社会構造の矛盾に怒り、その不当な環境に怒り、不当な搾取に怒っているような女工はほとんどいなかったことは間違いがなく、多くの女工たちは「まあ、こんなもん」と受け入れ、目先の対象に嫉妬し、ストレスをぶつけるような存在だったのだと思う。

 

 

唄に見る女工の心情

 

vivanon_sentenceしかし、それも細井和喜蔵の個人的体験に基づくものでしかないかもしれない。

一方で、著者のフィルターがかかっていない女工たちの心情の吐露をストレートに読み込むことができる箇所がある。唄の類いである。

以下は小唄のフレーズ。

 

寄宿流れて工場焼けて門番コレラで死ねばよい

 

「流れる」というのは、当時はしばしば大きな被害を出していた水害のことだろう。天災や疫病の類いでムチャクチャになってしまえと呪詛するような内容だ。これを細井和喜蔵は女工たちの反逆心の表れと見る。

しかし、生活に不満を抱いていたのは当然として、コレラで死んで欲しいのは工場主ではなく、門番でしかない。「自由に外出もさせない門番は死ね!」で怒りは留まる。これが女工たちの限界だったと見ることもできよう。

ここまで『女工哀史』に出ている女工が歌っていた唄や数え唄の類いをいくつか紹介してきたが、『女工哀史』の巻末には、細井和喜蔵が実際に耳にしたものを採録して、巻末の付録にた多数の唄が掲載されている。作ったのは女工じゃないかもしれないが、女工たちに歌い継がれるってことは、自分の境遇とシンクロするものがあるってことだろう。

例えばこんな唄がある。

 

ここの会社は女郎屋と同じ
顔で飯食ふ女郎ばかり

 

これは工場主や組合長といった役付の男らに媚びることで、楽な仕事を回してもらったり、外出を許可してもらうような女たちがいたことを皮肉ったのだろう。

さらにはここまで見てきたように、工場長の夜の相手をすることまでを狙った女たちがいたことまでを含めているのかもしれない。「自分らは、女同士で抱き合ったり、自慰することで我慢しているのに」というわけだ。

 

 

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