松沢呉一のビバノン・ライフ

街娼になる動機は好奇心だった-「闇の女たち」解説編 19(松沢呉一)-2,236文字-

白川俊介著『闇の女たち』から読み込めること-「闇の女たち」解説編 18」の続きです。

 

 

なぜ女たちは嘘を言ったのか

 

vivanon_sentence前回書いたように、本当の動機は能動的、主体的、積極的なものであったことを白川俊介はわかっていました。にもかかわらず、一方でその動機の7割が生活苦であると書いてしまう。「女はやむなく泣きながらやっていて欲しい」と願う気持ちがこう言わせてしまうのでしょう。

世間一般にそういう物語が流通してしまうひとつの理由は、女たち自身がこういう物語を口にするためです。そのこともおそらくは警察から聞いて白川俊介はわかっていました。

 

戦争で、戦災で、家を、父を、兄弟を失った—などといふのが、殆どの“物語”の発端、れっきとした家庭があり、親もある家出娘までがこの手を使って時代色豊かな嘘をつく。

 

検挙された状態の街娼たちのことをここでは言っています。そりゃ、検挙されたら、同情を引くための嘘もつきましょう。火の不始末で家が焼けたのだとしても空襲で焼けたことにしましょう。父が病死したとしても、ガダルカナルで戦死したことにするでしょう。兄弟は最初からいなくても飢えて死んだことにしましょう。

この時代、余裕のある生活をしていたのはごく一部であって、とりわけ女は働いていたところで給金が安く、おいしいものも食べられず、オシャレもできない。そういう意味では誰もが生活苦にあったわけですから、そこを引っ張り出せば「生活のためです」と答えるに決まってます。

そういう嘘が紛れ込み、誇張がなされて当然の環境に置かれていたにもかかわらず、京都で検挙された街娼たちの調査では、生活苦でまとめてしまうことができないことが明らかにされているわけです。

※写真は有楽町のガード下

 

 

白川俊介のような人間がパンパンを生み出した

 

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「どういう状態で、誰に語ったのか」「どういう質問をしたのか」によっても答えは違ってきて、どんな仕事であっても「生活のため」という側面はあります。それがないなら、金をもらわず、趣味でやればいい。事実、そうしていた女たちがいたことは、白川俊介自身がいくつもの例を取り上げていた通り。

そこを強調したい人が聞けば、そう答える。そこを強調することによって同情される方が有利な状況であれば、自らそう答える。とりわけこの時代に、楽な生活をしていた人は少ないのですから、検挙された状況では、ここが表面に出やすい。

しかし、もっと別の事情があったわけです。みんな、戦争でうんざりしていたわけですよ。戦争に負けて、やれ民主主義だ、自由だと言われながらも、自分を取り巻く環境は昔と変わらない。女の働き口などない。親は子どもを自分の意のままにできると信じて疑わない。

彼女らが反発したのは例えば「地方の封建的な慣習」「厳格な父の監督」だったことを白川俊介も書いています。しかし、彼は「それなのに娘は〜」というニュアンスでしか、これをとらえていない。

抑圧されるほど反発は大きいのであって、その抑圧が戦争によって若い世代の女たちに加えられました。これを加えたのは男だけではない。女たちもそこに加担したわけです。化粧もさせない、オシャレもさせない。

よく出る話ですが、宗教家、教育者など、「うちの娘は自分の思い通りにするために厳しく育てる」という親の考えを押し付けられた娘に限ってセックスワークに飛び込むのはなぜか。自立のためです。それが大規模になされたのが焼け跡時代です。

つまりはどこまでもどこまでも女の貞操なる幻想を捨てられず、そこからはみ出す女を精神異常であるとしたがる白川俊介のような人間こそが多数の街娼たちを生み出したと言えます。

 

 

今もいる鈍感な人々

 

vivanon_sentenceそれに気づけない鈍感な男たちや女たちが、今もそこかしこにいますね。

そう信じたい人たちが「生活のため」「貧困のため」「家族のため」「子どものため」に女たちはやむなく路上に立ち、涙を流しながら米兵のオモチャになったのだという物語を創作し続け、女が守らなければならない道徳の護持を試み、男が望む「意思なきかよわい女像」を焼け跡の街娼に重ねてきたのであります。

 

 

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