松沢呉一のビバノン・ライフ

松戸・平潟遊廓跡へ-「闇の女たち」解説編 29-(松沢呉一)-2,605文字-

平潟遊廓跡

 

vivanon_sentence前回説明したように、ノガミと直結していた場所でありますから、以前から一度平潟遊廓の跡を訪ねてみたいと思ってました。

各地の遊廓跡を訪ねたレポートはネットに溢れていますが、たんに街を眺めて歩き、その痕跡を探すだけで、地元の人たちに話を聞いているものは少なく、歴史的記述も、たいていは誰かが書いたものを引き写しているだけです。

平潟遊廓跡についても、戦後、パンパンの拠点になっていたことまでを記述しているものはひとつもありません。自分で行ってみるしかない。

とは言え、わざわざ足を運んだところで覚えている人はほとんど残っていないでしょうし、何かのついでがある場所でもない。

億劫といえば億劫でもあって、今まで訪れることはなかったのですが、『闇の女たち』が出る直前に行ってみることにしました。インタビューした人たちを探し当てることはできず、新規で街娼のインタビューをする試みも失敗して、あとはこのくらいしかすることがなかったものですから。

 

 

なんの変哲もない静かな住宅地

 

vivanon_sentence松戸は大学の時に友人宅を訪ねた際に行ったことがあるだけで、以来、一度も行ったことがありません。三十数年ぶりに松戸へ。

松戸駅から西に向かうと坂川があり、そこを越えた辺りが元・平潟。平潟という地名は現在残っていませんが、電柱の表示や平潟公園に辛うじてその名を見ることができます。

平潟公園は昭和三四年開園とあるので、売防法で寂れたあとにできた公園かもしれない。

遊廓時代の痕跡もわずかにはあるのですが、川に囲まれた静かな住宅街であり、そうと言われないと決して気づけないでしょう。

最初に話を聞いた男性は、おそらく四十代。リアルタイムには知るはずがないのですが、平潟遊廓の場所は知ってました。

続いて、道を歩いていたおばあちゃんは、この地に来たのはそれほど前のことではないながら、やはりここに遊廓があったことは知っていました。

「この辺らしい」という辺りで、庭いじりをしている女性がいたので聞いてみました。

「この先です。私よりもっと詳しい人がいますよ」というので、数軒先の家に連れていってくれました。その家の女性はこの地で生まれ、子どもの頃ながら、辛うじて売防法以前のことを記憶していました。年齢は聞きませんでしたが、話の内容からたぶん六十代後半です。

 

 

箒や七福神を売る人たち

 

vivanon_sentence以下は立ち話で聞いたもの。

「ここから向こうがパンパン屋だったんですよ。もう亡くなったうちの父は、仕事の帰りに声をかけられたと言ってましたよ」

 

 

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