伊藤野枝の料理はたぶんうまかった-栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』より 3 (松沢呉一) -2,560文字-
「平塚らいてうが評する伊藤野枝-栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』より 2」の続きです。
伊藤野枝の作る料理までを貶す平塚らいてう
「伊藤野枝さんの歩いた道」から、平塚らいてうは、伊藤野枝を嫌悪していたことは充分に理解できようかと思います。
これは、伊藤野枝がアナキズムなるわけのわからん思想にかぶれて遠くに行ってしまったことからの逆算ともとらえられるのですが(これについては後述)、おそらくもともと平塚らいてうと伊藤野枝は相容れないものがあったのだと思います。
それを象徴するエピソードが『村に火をつけ、白痴になれ』に紹介されています。平塚らいてうと同棲相手の奥村博史は、ほんの一時期、食事を伊藤野枝に世話になっていたことがありますが、伊藤野枝が作る料理が耐えられず、すぐに平塚らいてうと奥村博史は外食をするようになります。
しかし、大杉栄を筆頭としたアナキストたちは、伊藤野枝は料理がうまいと評しています。この差はいったい何なのか。
平塚らいてうが「よくあそこで食事をしたものだ、とおかしく思われます」「得体の知れないものをつくりました」「汚いことも、まずいことも平気です」などと書いていることに対して、著者の栗原康は「お世話になっておいて、よくこんなことがいえたものだ」と憤慨しています。
平塚らいてうは「女は料理がうまくなければならない」とでも考えていたのでしょうかね。だったら、自分で作ればいいのですが、平塚らいてうは家事ができませんでした。
だから、一年のうちに八人も女中を雇っていました。もちろん、「同時に」ではなく、「次から次と」ですが、同時に複数名いたこともあったのでしょう。女の労働力が安かったがために可能だったことです。それでいて、伊藤野枝の料理をこうも悪しざまに書く。
※伊藤野枝と辻潤と長男の一(まこと)。『村に火をつけ、白痴になれ』より
わがままは誰か
伊藤野枝のわがままぶりを否定的に描く平塚らいてうのわがまま爆発。わがままを突き通した伊藤野枝は「周囲の人たちの方がよほどわがまま」と言います。平塚らいてうもその「周囲の人たち」の一人であったようです。
他者の生き方を尊重できず、道徳を押し付ける人たちももちろんわがままですが、平塚らいてうのわがままさを著者は「大正時代の金持ちの感覚」としています。伊藤野枝の生きるためのわがまま、徹底的に個人を縛るものを拒否したわがままとは質が違います。「今ここにある制度の中での獲得物を捨てない範囲で改革を求めた」のが平塚らいてうなのです。
伊藤野枝の料理を酷評する文章は平塚らいてうの自伝『原始、女性は太陽であった』に出ているもので、食事のことまでは覚えていないながら、伊藤野枝をこき下ろす表現に強い違和感を覚えたことを覚えています。
『元始、女性は太陽であった』は面白い内容なのではありますが、これを読んだ段階ですでに私は伊藤野枝にシンパシーを抱いていましたから、「平塚らいてうは、伊藤野枝を嫌っていたのか」と当惑したものです。
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