松沢呉一のビバノン・ライフ

平塚らいてうによる伊藤野枝追悼文の奇異-栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』より 5(松沢呉一)-2,681文字-

性と道徳をめぐる確執-栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』より 4」の続きです。

 

 

平塚らいてうによるもうひとつの伊藤野枝評

 

vivanon_sentence平塚らいてうの世渡りを感じさせる文章があります。

ここまで見てきた「伊藤野枝さんの歩いた道」に続いて、平塚らいてう著『女性の言葉』に掲載された「自然女伊藤野枝さん」という一文です。

この本に収録された文章の初出記載がないのですが、こちらは死後、追悼文として書かれたもののようです。「ようです」と曖昧な書き方なのは、そうとははっきり書かれていないため。

こちらも今回改めて読んだのですが、『村に火をつけ、白痴になれ』を読んだあとだったので、以前は気づけなかったことに気づけ、「ああ、これが平塚らいてうなのだな」と感慨深いものがありました。

ここで平塚らいてうは伊藤野枝の人柄については褒める言葉を多数使用しています。追悼文では褒めるのが通例ではあるのですが、奇異なことに、伊藤野枝の思想をことさらに否定しているのです。

以下の文章がよくそれを示しています。

 

 

あの人の力強い感情を信じあの人がもつ最も良いものとしてこれを尊敬して来ましたが、あの人の理智に対しては最初から信用を置いてませんでした。

 

 

生前は、人格や振る舞いまでをああも否定的に書いていたのに、亡くなると、「尊敬して来ました」とまで書く。しかし、「理智」については全否定。生前はその部分も貶しつつ、同時に認めているようなことも書いていたんですけどね。

現実に、伊藤野枝は、平塚らいてうの代理として「青鞜」を発行し続け、平塚らいてうも推薦文を書く翻訳本を出すなど、「理智」の部分でも大いに活躍し、平塚らいてうを助けてきたわけですが、それをこうまで否定されては浮かばれない。

追悼文であれば、ただその人となりを惜しめばいいものを、あるいは通例通り、思想をも型通りに褒めておけばいいものを、あえて思想を全否定する不自然さ。

※写真は関東大震災直後の大杉栄と伊藤野枝。つまり、虐殺される直前のもの。『村に火をつけ、白痴になれ』より

 

 

なぜ虐殺されたことに触れていないのか

 

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もうひとつ奇異なことがあります。虐殺されたことについては一言も触れていないのです。「惜しまれてなりません」という結びの言葉で追悼の文章だとわかるだけ。大杉栄の名前もありません。

情報統制は、震災の翌月には解かれていますから、この一文が事件直後に書かれたものであれぱ触れない事情はわかりますが、大正十五年に出たこの単行本に入れる際に伏せる理由はありません。

事実、大杉栄と伊藤野枝、甥の宗一が殺されたことを同じ時期に明記したものは多数残されています。新聞は連日このことを報じ、雑誌「改造」は追悼の特集記事を出しています。虐殺を批判的に書いたため、伏字にされているものもありますが、憲兵隊に連行されて殺されて井戸に投げ込まれた事実の記述については伏字になっていません。平塚らいてうは、触れられなかったのではなく、自ら触れなかったのです。

甘粕正彦らは軍法会議にかけられた犯罪者であり、その事実を書いたところで発禁にされるわけでもない。それでも、怒りも表明せず、殺されたことさえ平塚らいてうは触れませんでした。

その代わり、平塚らいてうは、伊藤野枝の人柄については打って変わって肯定的なことを書き連ねました。死んだ以上、二度と関わることはなく、褒めても損はないとばかりに。

しかし、思想は残る。こちらについては完全に否定し、伊藤野枝は「その時々の愛人の思想を理解し、共鳴し、それに同化する」としています。彼女の思想は辻潤のそれであり、大杉栄のそれでしかなく、自分のものなどないのだとして、自分らと切り離しを図っているのです。現実にその二名の影響は大きいのですが、エマ・ゴールドマンの理解者であったフェミニスト・伊藤野枝の存在をなきものにするようなことをよく書けるものです。

大杉栄、伊藤野枝、宗一の虐殺は共産主義者や無政府主義者たちを復讐に駆り立て、ある者は皇太子をステッキ銃で撃ち、ある者は大杉栄殺害時の戒厳令司令官を撃ち、また、ある者は各所に爆弾を仕掛け、それらの者たちも処刑されています。

しかし、伊藤野枝と近しかった平塚らいてうは追悼しつつも、「私は関係ありませんから」と主張することによって虐殺した側への配慮を見せたのでした。甘粕正彦らの行為は軍法会議が始まると英雄扱いされるようになり、新聞も軍部に追従し、減刑署名も多数集まります。その空気を敏感に読み取ったのが平塚らいてうでありました。

※図版は大正十三年に刊行された賀川豊彦著『地球を墳墓として』掲載「可愛い男の大杉栄」より。伏字で終わっており、おそらくその思想は今後も続いていくことを高らかに宣言していたのだろう。この一文を平塚らいてうの「自然女伊藤野枝さん」と比較すると、その違いがよくわかろうかと思う。

 

 

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