松沢呉一のビバノン・ライフ

あらゆる点がいい加減-『親なるもの 断崖』はポルノである 8-(松沢呉一) -2,400文字-

どうすれば昭和三三年まで遊廓が残れたのか-『親なるもの 断崖』はポルノである 7」の続きです。

 

 

 

近代の遊廓を知ることの難しさ

 

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「吉原炎上」間違い探し』でも縷々説明したように、近代の遊廓を正確に理解することは難しいものです。今は国会図書館が公開しているので、リアルタイムに書かれたものを簡単に読むことができますが、それまでは資料を探すだけで苦労しました。

今現在書店で入手できるもの、古本屋で簡単に入手できるものは、江戸の遊廓について書いたものが多く、近代のものは少ない上に、間違いが多すぎて役に立たない。

また、明治初期なのか、明治末期なのか、大正時代なのか、戦中なのかの別が書かれていないと使えない。「近代の遊廓」と言っても時代によって大きく違うためです。

当然、地域差もあるわけですが、それ以上に時代の差が大きい。法が変化し、社会総体も変化していきますので。

たとえば張見世(張店)ひとつとっても時代の変化について正確なことが書かれているものは少ない。国会図書館を除くと、今現在読めるものとしては「『吉原炎上』間違い探し」くらいじゃないかと思えるくらいに少ない。

張見世は籬(格子)の向こうに娼妓が鎮座して、路上から客が選ぶ方式であり、これが遊廓のアイコンともなってしまったため、「遊廓ではつねに張見世が行われていた」と思っている人たちが多いわけですが、張見世は中店や小店の方式であり、よく名前が出てくるような大店ではやっていませんでした。

中店や小店でもやっていたのはほぼ明治までです。明治末期には写真見世が増え、大正期には禁じられ、それ以降は、写真見世陰見世になっていきます。

 

 

昭和の幕西遊廓は写真見世だった

 

vivanon_sentence極稀に、昭和に入っても張見世が容認されていた地域があって、どこがそうだったのかも数分で調べられます。数分で調べたら、室蘭の幕西遊廓は写真見世でしたから、『親なるもの 断崖』に繰り返し出てくる張見世はすべてフィクション。

それが遊廓のアイコンになっているため、昭和の幕西遊廓でなされていなかったことを知りつつも、張見世が行われていたように描くことは責められないかとも思います。絵柄としてキャッチーであることも理解できます。

しかし、誤解してしまう読者が出てきてしまいかねないのですから、欄外にでも「この時代の室蘭の幕西遊廓には張見世はなかった」と注を入れるくらいの配慮が必要だと思います。

そんな注を入れると、『親なるもの 断崖』はどこもかしこも注だらけになってしまいますし、そもそも曽根富美子さんは張見世がなかったことにも気づいていないのでしょう。

 

 

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