松沢呉一のビバノン・ライフ

「新しい女」と評された娼妓-「白縫事件」とは? 5-(松沢呉一) -4,491文字-

「新吉原細見」で見る白縫-「白縫事件」とは? 4」の続きです。「前借と自由廃業の解説-「白縫事件」とは? 番外」も併せてお読みください。

 

 

 

「白縫事件」まとめ

 

vivanon_sentenceここまで見てきた「白縫」を改めてまとめておきます。

本名は山中つるゑ。生年は1893年、または1894年。広島出身。本人が語るところによると、広島高等女学校卒。

東京新橋で芸妓「小美野」になったのちに、吉原の貸座敷「角海老」で娼妓「白縫」に。1914年4月、白縫は風邪で体調を崩していたため、楼主は心配して止めたのだが、「権利がある」と主張して、20年ぶりの花魁道中に出た。

その1年後の1915年4月10日、銀座の救世軍本部に、当時は非常に珍しかった自動車に乗って駆けつけ、白縫はよく名を知られた伊藤富士雄を指名し、「虐待された」と訴えた。その「虐待」は前年の花魁道中に無理矢理出させられたというものだった。廃業を求めて、ともに吉原の所轄である日本堤署に赴いたが、そこに呼び出された角海老の楼主によって、自身の強い希望で花魁道中に出たこと、この廃業願いの行動は馴染みの相場師である吉本の入れ知恵であること、借金が増えたのは酒癖の悪い母親が繰り返し金を借りていったためであることが明らかになり、伊藤富士雄も楼主に理解を示した。

楼主は日頃から白縫には閉口していたため、白縫を引き止めることもなく、大幅に譲歩し、借金を減らして月賦身請を提案した。伊藤富士雄は吉本に連絡をし、吉本もこれを喜んで受け入れた、

この年の8月に返済を終了して、白縫は廃業し、吉本と結婚した。その際にお礼にやってきた元・白縫に伊藤富士雄は「あまり理屈はこねん方がいい」と進言しており、伊藤富士雄にとっても彼女の言動は目に余るものであった。

彼女は、最新の言葉を駆使して自己主張をすることから、青鞜の女たちになぞらえて「新しい女」と称された。

なお、この騒動の直後、救世軍の山室軍平は当時の警視総監・伊沢多喜男に花魁道中廃止の陳情を送り、花魁道中は禁止されているが、この件による影響はないものと思われる。

といったところですかね。ウィキペディアの記述と比べるよいかと思います。

以降は推測を書いていきますが、充分に根拠のある推測です。

※図版は若月保治著『自動車の話』(大正元年)より。下の図版も同じ。自動車の図版が多いのは、出せる図版がないからですが、白縫を象徴するのが自動車なのであります。

 

 

借金踏み倒しが目的だった

 

vivanon_sentence白縫は客でやってきた吉本という相場師といい仲になり、一緒になろうと約束。吉本には金があるので、身請けするのはたやすい。しかし、借金をそのまま返済して身請けするのは惜しい。そこで吉本と白縫は救世軍を利用して自由廃業をすることを画策。救世軍に頼めば借金を棒引きにしてくれるらしいぞと。

しかし、大籬の角海老だけあって、契約の不備も契約違反もない。違法なこともやっておらず、通常言う意味での「虐待」なんてことはあるはずもない。

どこかつけ込むところはないかと、白縫から話を聞き出した吉本が着目したのが昨年の花魁道中でした。それくらいしかインネンをつけるところがなかったわけです。

さすがの救世軍も白縫の言い分をそのまま受け入れることはできず、借金をマケさせて月賦で支払うことで話をまとめます。

伊藤大尉が電話で吉本某に談判すると、向こうも月賦身請に喜んで応じた」という文章からも、最初から身請することは前提になっていて、その金額を減らしたかっただけだとわかります。「してやったり」だったのでしょう。

このことを救世軍側もわかっていたと思われ、「涼しい顔で吉本と同棲」といった表現に、呆れていた様子が表現されています(伊藤富士雄の手記にそうあったのか、吉屋信子が加えたものなのか不明)。

正規の手続きとしては、月賦の支払いが終わった段階で娼妓を廃業して、晴れて一緒に住めるのですが、相手がしっかりしていれば逃げることはないだろうというので、以降の外泊許可を得て、遊廓には戻ってこないことも可能でした。それにしても、「最初から話はついていたんだろう」と察知されてしまってバツが悪いですから、時間を置くくらいのことはするってもんでしょうけど、人目を気にするような白縫と吉本ではありませんでした。

そもそも白縫は、自分の主張がすんなり通るとは思っていなかったのでしょう。もし本気で通ると思っていたらバカすぎです。

だからこそ、自動車に乗ってきました。普通だったら、「借金の返済をすると残る金は極わずか、客がつかなければお新香をおかずにご飯を食べるしかなく、ひもじくてひもじくて」と演技のひとつもするはずで、そこまでは本気ではなかったことがわかります。「あわよくば」という程度の思いつきであり、そんなもんでも借金が大幅に減って、救世軍さん、ありがとう。

 

 

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