松沢呉一のビバノン・ライフ

ポジティブ脇毛-毛から世界を見る 5- (松沢呉一) -3,280文字-

日本脇毛史-毛から世界を見る 4」の続きです。

 

 

 

脇毛の時代

 

vivanon_sentenceつい先日、古いエロ本を久しぶりに大量ゲット。当然、脇毛チェックをしたのですが、1960年代は脇毛の時代です。半数以上のモデルが脇毛を伸ばしていると言っても過言ではありません。

これらのモデルはピンクの女優たちが多いので、映画でも脇毛が出ていたはずです(日常性を求める映画だと脇毛は不自然と判断されたかもしれない。詳しい調査が待たれる)。脇毛天国。日本がまだ幸せだった時代。

1970年代半ばにもなると、脇毛写真は減って、梢ひとみなどの日活ポルノの女優で一部伸ばし、あからさまにそれを売りにしているのが残るのみになります。

その梢ひとみも後期は脇毛を剃っている写真が出ています。残念でならない。彼女は体つきも顔も表情もエロに溢れていて、あれほど脇毛が似合う人はなかなかいない。

こうして脇毛時代は終焉し、黒木香の登場を待つことになります。

※肖像権に配慮して顔はカットしましたが、上は梢ひとみの脇毛です。写真を撮っているのは知人だと思うので、著作権が問題になっても、解決は早い。

 

 

「伸ばしてます」と表示する脇毛

 

vivanon_sentence日本脇毛史」で見たように、和服の時代、脇は見せないからエロでした。毛が生えているとさらにエロでした。だから、見られるようになると剃る。剃る人が増えると脇毛はかえってエロが強調されます。

「脇毛はエロい」として脇毛を伸ばしている人がいると、そういう視線で見られることを嫌う人はいよいよ脇毛を剃ります。 それが一定数に達すると、「脇毛はきれいに剃るのが女の身だしなみ」という社会的なプレッシャーが働く。

それに抵抗して脇毛を伸ばすと、本人は「自分らしさ」「ナチュラル」という意味合いを脇毛に見出しているのに、「汚い」「だらしがない」という視線で見る人たちがいます。それは本意ではない。

それを避けるひとつの有効な方法は、「意図的に伸ばしています」と主張することです。

左の脇毛は「お嬢様には毛がおあり」の流れで出ていたもので、これを見て、「剃り忘れていやがる」と思う人はいません。「汚い」と思う人もあんまりいないでしょう。

この写真を出しているのは、身体改造関係者のようで、あえて残していることの意思が明確だからカッコいいわけです。

私は白髪を染めたことは一度もなく、染めたいとも思わないですが、「脇毛を染めるのもいいな」とこれを見て思いました。私がやってもこうはならないわけですけど。

私は現在、陰毛を短く刈り込んでいて、浅野忠信風の不精陰毛です。浅野忠信がそんな陰毛にしているわけではなく、あくまでイメージです。浅野忠信も同じような陰毛にしている可能性もあるのですが、どこに問い合わせれば教えてもらえるのかわかりません。

でも、私の股間はホントに浅野忠信ってカンジなのです。意図的にそうしている雰囲気が漂います。清潔感ある不精陰毛。

そのため、銭湯では「あ、浅野忠信だ」「よく映画を観てます」って挨拶をされるわけですが(ウソをつくにもほどがある)、脇毛や陰毛を染めると、「あ、志茂田景樹だ」「テレビはもう出ないんですか」って聞かれそう。

 

 

エロと自分らしさは同居する

 

vivanon_sentence上の写真は「個性的」といった言葉で表現できる脇毛です。彼女らしいと言いますか。

同時にエロくもある。「自分らしい脇毛」と「エロい脇毛」が同居しています。このふたつは対立しそうでいながら、方向によっては容易に両立します。

「#LesPrincessesOntDesPoils お嬢様には毛がおあり」というハッシュタグで話題になったフランスの16歳、アデル・ラボさんに対して、ソフィア・ローレンの脇毛を出してくるのは、彼女を逆撫でするのではないかという話を書きましたが、この時にエロい脇毛を出してエールを送ったのは、おそらくおっさんが作っているメディアだけではありません。

一般の女性でも、エロモードの脇毛写真を出している人たちが多かったのです。

上の右の写真はたぶん雑誌から拾ったものでしょう。自分自身の脇毛ではない脇毛を雑誌やネット上で探すと、エロモードのものになってしまうのはわかるのですが、自分自身の写真を出している人でもエロを意識しているとしか思えないものがあります。

 

 

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