松沢呉一のビバノン・ライフ

『大正・吉原私記』のアンバランス-「白縫事件」とは? 番外 2-(松沢呉一) -3,525文字-

 

 

著者について

 

vivanon_sentence「白縫事件とは?」シリーズで使用した『大正・吉原私記』の著者である波木井皓三は、吉原の大籬・大文字楼の楼主の息子です。波木井家を継いだ波木井長(ちょう)は著者の母親であり、父の野呂熊太郎は慶応大学を卒業後、銀行員となったのち、波木井家に養子に入り、波木井清次郎という名に。

著者は明治37年、その長男として生まれました。尋常小学校を出て、慶應義塾普通部に入ります。そこでクリスチャンの友人と知り合い、彼のもっていた雑誌「新小説」に出ていた山室軍平による記事を読んで衝撃を受けます。

吉原の貸座敷中米楼を廃業した楼主の話が出ていて、その直接のきっかけは、息子が親の職業を理由に、中学を退校させられたことにあったという内容でした。その中学は著者と同じ慶応普通部だったのです。

この中米楼は、『吉原炎上』の主人公がいた妓楼であり、明治以降、勢力を伸ばしてていた注目の存在でしたが、こんなことで廃業したとは。

これを契機にして、著者は、自分もいつかそうなるのではないかと脅えるようになります。同時に貸座敷経営という親の職業に疑問を抱くようになります。

やがて大学に入るとともに、廃娼運動への共感が強まり、家から逃避するように、文学や芝居に熱中。関東大震災のあと、親に稼業を辞めて欲しいと進言しますが、受け入れられず、娼妓たちにも馬鹿にされる有り様。

これによって両親とは絶縁状態になりますが、父親は銭湯を対象とした広告代理店を設立。息子の考えを受け入れたようでしたが、間もなく死去。妓楼経営を続けた母親の長とはそれっきり関係を断った状態になり、著者は以前から好きだった芝居の世界で裏方の仕事に就きます。

本書は、その個人史とともに吉原の思い出話、好きな芝居の話を綴ったもの。

※吉原弁財天に残る波木井長の名前

 

 

廃娼運動への理不尽な共感

 

vivanon_sentence貸座敷経営者の息子として生まれ、吉原に育った(途中から家は吉原から上野に移るのだが)という環境にあったため、外部からはうかがい知れない吉原の、また、貸座敷の内部の事情が描かれているという点で、貴重な記録なのですが、廃娼運動に対してはほとんど無批判に受け入れているところが、この資料の価値を落としています。

これは第一には、多くの親子にある確執の表れでしょう。もうひとつは、自分らを虐げる者に同化する現象なのだと思います。

大正・吉原私記 (シリーズ大正っ子)合法的に営まれている親の商売によって、子どもが学校にいられなくなるのは理不尽です。親が暴力団であっても、エロ本の編集者であっても、パチンコ屋であっても、子どもは教育を受ける権利があります。あるいは親の職業が違法であってさえも。また、学校が私立であろうとも。

本来であれば批判されるべきは親の職業をもって退学に追い込んだ学校です。あるいはそれを密告した人間でしょう。また、そのことを自分らの成果であるかのように雑誌に書く山室軍平であり、それを掲載するメディアです。

しかし、その対象となった著者は、その理不尽な職業差別、なおかつ家族をも追い込む不当な正義感と闘うのではなく、それを内面化して、親の職業を、そして親をも憎み、本来批判すべき学校や救世軍、メディアに対する批判はしていません。

これは今も起きていることです。過去にAVに出ていたこと、性風俗店で働いていたことがわかって仕事を失う人たちがいます。男でもいます。法律に照らせば、過去のプライベートの行動で解雇されたり、契約を切られたりするのは不当。

歴然とした企業の不当な行為を放置して、AVや性風俗批判に利用する道徳主義者たちがいるわけです。その当事者も、その道徳を内面化して、AVや性風俗の被害者であるかのように思い込んでしまう。この場合の加害者は企業であり、それに加担する人々です。間違ってはいけない。

 

 

関東大震災時の吉原の様子

 

vivanon_sentence著者が廃娼運動に共感してしまったがために、冷静な判断ができなくなっている箇所を見るとします。

「『吉原炎上』間違い探し」の「扉のない大門をどうやって閉めたのか」を読んでいない方はそちらを先に読んでください。

 

 

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