Neon Moonのハミ毛に込められた革新的メッセージ-毛から世界を見る 9- (松沢呉一) -2,074文字-
「脱毛ファシズムの足音が聞こえてくる-毛から世界を見る 8」の続きです。
臍毛もお忘れなく
「お嬢様には毛があおり」を受けて出された写真の中で、私が感心したのは臍毛写真をTwitterに出していた人です。この写真ではわかりにくいでしょうが、拡大すると、産毛が臍周りに渦巻いているのがわかります。
臍毛がまた私の琴線に触れるのです。脇毛、陰毛、腕や脛の毛をきれいに処理している女子でも、案外、臍毛には気が回っておらず、産毛が生えていたりするものです。
誰も注目しないけれど、注目されなくても、「どっこい生きている」感があります。私にとっての都内のヘビや銭湯と似た位置づけです。
一時期、ロウライズのジーンズをはいて、パンツを出しているような女子の臍毛を撮らせてもらってました。これはヘビの写真を撮るのと同じ意味です。
臍まで出して公道を歩いているくせに、いざ写真を撮らせてもらおうとすると、すごく恥ずかしがります。顔は見られることが前提。足も見られることが前提。脇も恥ずかしがりますが、臍はもっと恥ずかしいみたい。見られることの覚悟がないまま晒しているのが臍。
「ちゃんと掃除してないかも」と恥ずかしがるのですが、臍のゴマには何の興味もない。私の興味は毛です。そのくらい臍毛は意識されていないのです。
その点で、臍の写真を出したのはいい視点だと感心しました。「女子は毛を剃るのが身だしなみ」と言って、アデル・ラボさんをいじめるような女子の臍の周りにもたいてい毛が生えていて、「臍に毛を生やしているくせしやがって、人の毛をとやかく言うな」というメッセージです。深読みですが。
ポジティブハミ毛
陰毛と同じく、Twitterではバンされる可能性があるために誰もアップしなかった、あるいはバンされたために目につかなかったのかもしれないですが、ハミ毛の写真は一枚も見ませんでした。でも、陰毛かどうか判定できないですから、ハミ毛ではバンされないのではなかろうか。
性器周りの毛であることの恥ずかしさとともに、ここには社会が共有する美学がないのだと思います。ハミ毛に美学が存在するのは、褌からはみ出す毛くらいじゃないでしょうか。ただし、ゲイ限定です。
私の中にもハミ毛に対する美学はなくて、どこまでも事故毛。だから、一部であれ承認してくれる人がいることが保証されている脇毛と違い、Neon Moonのハミ毛を見て、「ハミ毛はどうなんか」と思ったわけですが、私にとっての美、男にとっての美、女にとっての美、社会にとっての美の範疇にないからこそ、ハミ毛を見せたNeon Moonは画期的なのです。
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