松沢呉一のビバノン・ライフ

見世物奇談・保奈美の初恋 終幕-[ビバノン循環湯 137] (松沢呉一) -3,429文字-

第七幕はこちら

 

 

終幕

 

vivanon_sentenceすべてのステージが終わった。祭りは終わりだ。

客が去り、熱気の残像だけが残る見世物小屋で、それぞれの胸に去来するものを噛み締めながら後片付けを始める。

「保奈美ちゃんは今日は一回しか来ませんでしたね。最後のお別れをしたので、あれでよかったんでしょうけど」と孫悟空は月花に言った。

月花は保奈美ちゃんが自分で金を払ったことを説明した。

「あの五百円を得るために保奈美ちゃんは一所懸命親に泣きついたんだと思うよ」

孫悟空はまた涙をこらえなければならなくなった。

孫悟空はバーゴンのヒョウ柄の衣装をなかなか脱げないでいた。初めての見世物興行の参加は彼にとって思っていた以上の収穫があった。芸人としての自信も得た。

そして、何より、保奈美ちゃんにああも気に入ってもらえたことが嬉しかった。その思いの詰まった衣装を脱いで、日常に戻りたくなかった。ずっと見世物小屋のバーゴンでいたかった。

飛び散ったムシの残骸をその格好のまま拾っていたら、月花の愛犬であるミニチュアダックスフントの「なると」が吠えながら飛びついてきた。

なるとは変わっていて、犬のくせにどうやら鼻が悪いらしい。

※クラブで虫食い芸。大人気

 

 

vivanon_sentenceホステスや風俗嬢、従業員など、水商売、風俗産業専門に金貸しをやっている人物がいる。ある時、金の返済を迫るため、相手の家に行ったところ、マンションの部屋はもぬけの殻だった。逃げられた。

何か金目のものが残っていないかと部屋の中を探したら、ゴミ箱から微かに犬の鳴き声がする。中の袋には衰弱した子犬が入れられていた。

おそらくそれまでにもロクにエサをやっておらず、死にそうになっていたために、飼い主はゴミ箱に捨てていったのだろう。

彼は見捨てることができず、それを拾い上げたのはいいものの、自分ではどうしようもできなくて、月花のところに持ち込んだ。あばら骨が浮き出て、毛が抜けたその犬は息も絶え絶えで、長くはないだろうと思われたのだが、なんとか一命をとりとめて、今も月花に飼われている。

体が元通りになっても、しばらくは感情を失ったような状態が続いたが、今では、吠えもするし、噛みつきもする。

ただ、その時の後遺症なのか、鼻が悪くて、ニオイ識別ができない。片方の手にエサを握って、鼻の前に両手を差し出しても、どちらにエサがあるのかわからず、しばしばエサのない方の手を選ぶ。目の前にエサを置いても気づかずにエサをねだる。あるいはもともとそんな犬だったから、飼い主は捨てたのだろうか。

※浅草のスーパー銭湯「まつり湯」で演芸会の司会をする佐々木孫悟空。ここでは虫食いはやらない。しゃべりは苦手だが、アドリブができないだけで、決まったセリフを言うくらいはできる。

 

 

vivanon_sentenceなるとは孫悟空は好きなのに、バーゴンが大嫌いである。月花が舞台でバーゴンをかわいがる様子を見て嫉妬していたらしい。ニオイで両者が同一人物であることを判別できず、衣装で別人だと思い込み、その格好をしているとバーゴンに噛みつこうとするのである。

孫悟空は「やめろよ、助けて〜」と小屋の中を逃げ回って出口に向かい、外とを仕切る厚いカーテンを開けた。

そこに一人の女の子が立っていた。

 

 

next_vivanon

(残り 2200文字/全文: 3555文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ