なぜアライを支援者としかとらえられない人たちがいるのか—アライとサポーター 2(松沢呉一) -2,990文字-
「アライは同盟者であり、支援者ではない—アライとサポーター 1」の続きです。
支援者であっていい局面も当然ある
「なんでアライをサポーターの意味にしたがる人がいるのか」ってことなのですが、今までの反差別運動では「弱者に寄り添う強者」という考え方が主流で、そこから抜けられない人たちだろうと思います。
その考え方しかないから、アライという言葉が指し示す関係が理解できない。理解できる関係に言葉を落としこむと「支援者」になる。
もちろん、「支援者・サポーター」の立場でしかない関わりもあっていいのだし、そういう関わりになりやすいことはあります。
個人の問題に留まる場合はとくにそうです。しかし、社会の問題になってくると、「支援者・サポーター」では不足してきます。
たとえば、同性婚については、「個」の判断や、「当事者」の判断では留まらない。これは制度の問題であり、法の問題ですから、この社会を構成するあらゆる人々は当事者です。誰もが堂々当事者として発言していい。それが間違っていれば批判するまで。発言者がマイノリティであっても批判していい。
そのことによる直接の不利益を受けている人たちが一義的な当事者ですから、「どのような不利益があるのか」「どういう差別があるのか」について語れるのは彼らです。この場合は当然その発言は優先されるべきであり、個別の支援はなされるべきですが、決定するのは社会全体です。
公正性、公平性が損なわれていることの不利益は社会全体が被るためです。
※TRP2016のパレードの日、渋谷MODI(旧マルイシティ)の入口にある掲示板に表示されたレインボー。以下もTRP2016の写真
誰もが主体的に発言する資格のあるテーマ
「当事者の意見に従う」という考え方からすると、ある同性愛者が「同性婚で騒げるのは経済的余裕のある一部の人だけ。安いバイトで食べている自分には関係がない。同性婚は同性愛者の中での格差を広げるものでしかない」と主張したら、「はい、そうです。ごもっとも。同性婚なんてどうでもいいですね」になるべきでしょうか。
「弱者に寄り添う」という発想は、「弱者の中でもより弱者に寄り添う」ということになります。相対的弱者を優先するのは当然でしょう。同性愛者の中でもっとも弱いのは、一切そのことを外には言えず、長男であるプレッシャーから結婚をせざるを得ない人かもしれません。
表に出てきて発言をしている同性愛者は比較的恵まれている環境にいたり、比較的精神がタフな人たちだと言うことも可能ですから、その人たちの意見は聞かなくてよく、より弱者の人たちの意見を聞いて、それに従うのが正しいのかどうか。
「当事者」「弱者」という視点から離れたところの判断が必要になってくるテーマがあるのです。
「弱者に寄り添う」という発想は、こういうテーマにおいては限界に至ります。限界に至ることにどうして気づかずにここまで来てしまったのか。
結婚していないヘテロと結婚していない同性愛者は違う
「個人」と「社会」という視点の違いははっきり意識しておいた方がよくて、私は今まで結婚したこともなく、したいと思ったこともありません。同性愛者だったとしても同じだったでしょう。「だから、同性婚なんてどうでもいい」とはならない。「社会の視点」があるためです。
ヘテロの私は「結婚をしない」という選択ができるのに、同性愛者はその選択がないまま、結婚していない。ここは等しくない。結婚する選択ができるのに結婚しない状態になって初めて等しくなれる。
と考えると、個人としては「どうでもいい」、社会としては「同性婚が実現した方がいい」ということになります。
個人としては「どうでもいい」のですけど、これは「今」に限ったことでしかありません。来年、台湾に移住する可能性があって、仕事をするなら永住権があった方がよく、そのために結婚するしかないとなれば結婚します。「相手がいれば」ですけど、誰でもいいや。状況が変化すれば、個人としても「どうでもよくない」に転じるのがヘテロ。
台湾はアジアでいち早く同性婚が実現する可能性があるので、この際、結婚する相手は同性でもいいんですけどね。その場合は若い男の子がいいな。永住権を得るために女と結婚する場合は「誰でもいい」と思えるのに、男が相手だと「若くてかわいい子がいい」。男が相手だと趣味が入ってきてしまうのはなぜだろう。台湾の男の子はかわいいからです。私の趣味は山縣さんに近いのであります。
※路上で手を振っていたブルボンヌこと斎藤靖紀とお母様。斎藤靖紀とはBadi編集部にマツコ・デラックスらと在籍していた頃からの知り合い。前からその話は聞いていたのだけれど、お母さんは元11PMのカバーガール。
社会的視点と個人的視点
サポーターとアライの違いは、「何を解消するのか」「何を目的にするのか」の違いとも言えます。
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