松沢呉一のビバノン・ライフ

発禁・逮捕・暗殺—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 7-(松沢呉一) -2,615文字-

避妊の知識を広めたものと妨げたもの—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 6」の続きです。

 

 

 

オギノ式に見る日本の禁忌

 

vivanon_sentence日本での産児制限運動に対する規制のありようは、ヨーロッパよりもアメリカに近かったと言えましょう。つまり厳しかったのです。

法王庁の避妊法 ローマ法王も認めたオギノ式避妊法が日本では戦後になるまで知られず、ヨーロッパで先に広まったことが、あちらとこちらの避妊に対する姿勢の違いを明らかにしています。

オギノ式は荻野久作自身が避妊法として確立したものではなく、荻野久作が発見した生理と排卵の周期をオーストラリア人のルマン・クナウスが避妊法として転用して奨励したものであり、荻野久作自身は確実性が低い避妊法と考えていたことも日本で広がらなかったことに少しは影響しているかもしれないですが、荻野久作自身が広めようにも広めることは不可能でした。

戦前の出版物でも、ルーデサック(コンドーム)や膣外射精法、海綿法などを詳細に紹介したものがあるのですが、これは明治時代までです。大正以降は検閲を通りませんでした。

 

 

避妊方法を書くと検閲を通らず

 

vivanon_sentence安部磯雄著『産児制限の話』(日本民衆新聞社/昭和5年)によると、「政府は産児制限は個人問題だから干渉はしないと明言して居ります」とのことですが、「内務省の方針が一切著書や公開演説で実行法を公にすることを禁じる」ともあります。

矛盾があるように感じられましょうが、検閲を担当していた内務省はこの基準を実行していて、よって表現物に関しては具体的な方法を書いてはならない。しかし、個人間で具体的方法を伝達することやそれを実施することまでは干渉はしないということです。

あくまで「実行法」を公にすることが禁じられただけであり、この本のように、産児制限の趣旨、効用を説くことはでき、産児制限論者たちは時々はみだして発禁にされつつ、その範囲での表現活動を続けてました。

この基準がいつから始まったのか、確認することはできなかったのですが、おそらく明治43年(1910)に検閲が強化された時だろうと思います。それ以前は具体的な記述も許されていたわけです。

しかし、オギノ式は、排卵日を狙う妊娠法として考えるなら、「産めよ殖やせよ」の国家の方針にも合致します。そういう体裁にして知識を伝えたものが何かあったとも記憶するのですが、はっきり思い出せず、おそらくこの手法でも発禁にされたはずです。結局、どうやっても避妊の具体的方法を表現することはご法度でした。

 

 

日本の婦人運動家が産児制限運動に消極的だった理由

 

 

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