松沢呉一のビバノン・ライフ

道徳が遊廓を維持し、その改善もさせなかった—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 4-(松沢呉一) -2,326文字-

ホモフォビアが薄いはずなのに同性婚が実現しにくい日本—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 3」の続きです。

 

 

 

日本ムラの道徳とは?

 

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前回書いたように、日本を支配する規範のひとつはムラの道徳です。これが個人より上位にあります。

このムラの道徳は、個別に見ると、必ずしも伝統的なものではありません。むしろ今現在の性的な道徳は伝統に反するものの方が多いでしょう。処女性、貞操なんてもんは武家を除けば近代のものです。

しかし、明治以降に関して言えば、おおむね一貫しているものがその中に含まれています。それを確認してみましょう。

以下は「『吉原炎上』間違い探し」「『親なるもの 断崖』はポルノである」「白縫事件とは?」等で書いてきたことのまとめです。把握している人は飛ばしてください。

遊廓があった時代、つまり戦前は、子どもが親のために犠牲になるのは当然という考え方があって、娘たちは前借のため、女工になったり、娼妓になったりしました。社会保障などほぼなかったのですから、親としてもそれ以外に方法がない。あとは死ぬだけ。これが家族の道徳

社会としても、やむを得ずやる売春は容認してました。なにしろ、親孝行のためですから。

それを保証したのが前借という制度であり、前借が必要な者のみが遊廓で働け、警察は親元の経済状態までチェックをして娼妓の鑑札を出していました。妓楼は好き好んで前借を出していたのではなくて、出さなければならない決まりだったわけです。

ここ、あんまり理解されていないところかと。調べる人が少ないためですが、何度も言うように、今は国会図書館が大量の資料を公開してますから、目を通しましょう。

※由来はわからんですけど、吉原弁財天にある蛇塚

 

 

前借廃止ができなかったのは道徳のため

 

vivanon_sentence前借は自堕落な生活のための売春、贅沢をするための売春、遊び半分の売春を防止するためのチェック機能になっていて、自ら好んで売春をすることは許されませんでした。そういう層は私娼で働く。「エロ天国細見記」あたりを参照のこと。

これが娼妓をやめるにやめられない状況を作り出しました。借金の返済をしなければやめられない。

前借をなくせば、今と同じくやめたい時にやめられ、経営者もやめられないように労働環境を向上させ、競争原理が働く。しかし、社会の道徳はそれを許さなかったのです。

対する廃娼運動は、売春の全否定を目論みます。婚姻外の性行為を否定したい人たちにとっては当然のことです。これはおもに宗教規範です。彼らがもっと力を持っていれば日本でもソドミー法を制定しようとしたでしょう。同性愛禁止、アナルセックス禁止、オーラルセックス禁止。

しかし、遊廓をなくしたところで、親の困窮は解決しないため、私娼に人が流れるだけのことです。法が機能しないため、そちらの方がさらに労働環境が悪くなる可能性も高かったのですから、なんの問題解決にもなりません(私娼には両面があって、借金のないお気楽層がいたのと同時に、「騙されて」という層もいた)。

これも以前数字を検討して明らかにしていますし、南喜一の私娼解放闘争の顛末もそのことを雄弁に物語ります。

※『廓清』は廃娼派の牙城「廓清会」の雑誌です。ここの会長が安部磯雄だったことはすでに説明した通り。うちのどっかにも現物や復刻があるんですけど、すぐには出てこないので、古本屋さんから借りた書影です。

 

 

同じ道徳観の対立

 

vivanon_sentence実のところ、存娼派も廃娼派も同じような発想をしていました。「遊廓を残すべき」と主張した人たちの多くはそれを容認しながらも、「売春をするような女たちは隔離をしておくべし」と考え、遊廓をなくすべきと発想した人たちは「やむを得ない事情があれども、売春をするような女たちを政府が公認すかるのはけしからん」と発想し、その結果、私娼となって困窮しても知ったことではないと考えていました。

 

 

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