神近市子は主婦のために売春者処罰を図った—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 6-(松沢呉一) -2,479文字-
「イザベラ・バードが描く農村の貧困—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 5」の続きです。
農地改革、財閥解体、生活保護、そして憲法
農村の貧困が改善されたのは、戦争のあとです。農地改革です。そして、財閥解体や生活保護法の制定によってこの国の貧困は軽減されました。
時期は前後しながらも、公娼制度を支えていたものは着実に解消されていき、GHQが公娼制度廃止を命じたことの裏付けはあったわけです。
これを日本は自力ではできなかったし、戦争ができる国家作りのために、実現しようとはしませんでした。救世軍は貧民救済活動に力を入れてましたが、根本解決を政府に求めるようなことはしていないと思います。
戦後、日本は経済発展を遂げたのですから、戦前これを実施できなかったのは財閥の事情、地主の事情でしかなかったでしょう。
ここにもムラの論理があって、外部の力でしか変えられない国なのだと絶望しないではない。
そして、個人という単位を明確にした、つまり人権を尊重することを明確にしたのは日本国憲法です。押しつけであろうとなんであろうと、やっとここから個人という単位を基本にした社会が始まります。正確にはそれを目指そうとした社会の始まりです。
ペニシリンとコンドームの普及
もうひとつ、公娼制度廃止を可能にしたのは、ペニシリンとコンドームの普及です。
遊廓を存続する重大な理由になっていたのが性病対策です。現実に性病の蔓延は深刻なものがあって、遊廓だけの問題ではなかったのですが、売買春を介して感染するケースが多かったのも事実。また、このくらいしか、今で言う個別施策対象はなかったでしょう。
これを放置することはできず、公娼のように検黴を実施することが望まれました。
しかし、連合国内ではペニシリンはすでに使用されていて、敗戦によってまずGHQが持ち込み、昭和22年には国産のペニシリンが発売され、これによって飛躍的に性病治癒が容易になります。なおかつ、避妊の普及を阻むものがなくなって、コンドームの使用も広がっていきます。
山田わかさんは、「人類を動物化する」とこれに抵抗しなかったんですかね。この人の書くものは読む気がしないので(いくつか読んだ上での感想です)、それを確認したことはありませんが、「産めよ殖せよ」の時代はそれに従うのがムラの道徳、民主主義の時代はそれに従うのがムラの道徳ですから、うまいこと渡り歩いたのかな。
これらによって集娼維持の必然性は落ちますし、前借の必然性も落ちましたが、赤線は維持されました。これは女たちが求めるものでもありました。パンパンのように街に立つことができない女たちも多数いたわけです。
しかし、前借という制度が消えて、赤線でも前借を出さない店が増えたことによって、いよいよこれを許せなくなった人たちがいます。宗教的道徳を信奉する人々と婦人運動家たちです。彼らは個人の意思で売春することを断じて許せなかったのです。
国民の過半数は法規制に反対だった
『闇の女たち』に、一九四九年(昭和二四年)、労働省婦人少年局が国立世論調査所に委嘱して行った「風紀に関する世論調査」の数字を出しましたが、この時点では売春を法で禁じることに7割程度が反対していました。
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