松沢呉一のビバノン・ライフ

依存性人格障害がこの国では問題になりにくかった理由—下戸による酒飲み擁護 18- (松沢呉一) -2,769文字-

ムラはすでに存在しないのにムラの行動をとることの結果—下戸による酒飲み擁護 17」の続きです。

 

 

 

『「甘え」の構造』の記述

 

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日本人論としてこれまでもっとも読まれてきたのは土居健郎著『「甘え」の構造』でしょう。今なお読まれている大ベストセラーです。

私も一般教養として学生の時に読んでいるのですが、数年前に「日本人の依存的性格」をもう一度把握するために読み直しました。

日本人の依存性の強さについては、その後、さまざまな人が指摘し、より精緻なアプローチで明らかにしていますので、改めてこの本を読む必要もなかったのですが、本の冒頭に書かれたエピソードを読んで、「エッ」と思いました。

「甘え」の構造 [増補普及版]1950年代に、著者が渡米した時の体験です。家に招かれた時に、「おなかが空いてないか」と聞かれて、「いえいえ、大丈夫です」と答えると、いつまで経っても食事が出てこない。遠慮が通じないのです。

そこで、「はい、空いてます」と答えると、今度は「食前酒は何にするか」と聞かれて、いちいち判断をしなければならない。日本であれば黙っていても食事が出てくるし、酒が出てくるのに。そこから著者は日米の違いを探究していくことになります。

という導入を読んで、何を言いたいかはわかりつつも、「いつの話だよ。明治時代かよ」と思いました。

 

 

半世紀で変化したこと

 

vivanon_sentenceこの本が出たのは1971年。ここは日米の違いをわかりやすく出した例に過ぎず、現実にはそうも当惑したわけではないのかもしれないですが、読者に奇異に感じられたのでは例として適切ではないわけで、この頃にはなお奇異に感じられず、「アメリカではそうなのか」と納得した読者が多かったんですかね。

続「甘え」の構造 今だと「当たり前だろ。飛行機の中でも食事は肉か魚か、飲み物はどうするかを聞かれるではないか」「ステーキ屋に行けば焼き方を聞かれるではないか」「“おかまいなく”と言う人はかまわないのが礼儀だろ」と思う人が多いでしょう。おっさんの私でもそう思いました。

「おかまいなく」という言い方は私も使うことがあります。「このあとおいしい店に食いに行くことになっているので」とはっきりとは言いにくいので、やんわり断る意味で使う。しかし、メシが出てくるものだと期待してその言葉を使うことはありません。食いたい時は遠慮がちに「お願いします」と言います。

そのくらいにはこの国でも、自分で判断し、意思表示をする局面が増え、それをしないと誤解され、損をする社会になってきています。半世紀の間に、そのくらいは変化をしました。

 

 

依存性が強まっているのか、弱まっているのか

 

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こういった日本人の体質については、さまざまな人が言及していますが、依存性が強まっているのか、弱まっているのかについては意見が分かれるところです。これはどこを見るのかの違いです。

 

 

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