松沢呉一のビバノン・ライフ

依存性が日本社会を蝕む—下戸による酒飲み擁護 20- (松沢呉一) -2,558文字-

ムラ社会が生み出した依存的性格—下戸による酒飲み擁護 19」の続きです。

 

 

 

私の嫌いな依存的行動

 

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前回書いた宴会の例では、酒を飲まない私はしらふのため、判断力をなくした酔っぱらい集団に苛つくということもあるのでしょうが、そういう場面じゃなくても、決断しなければならないのに、決断ができない集団がチンタラしているのが私は大嫌い。

ヘビを探したり、銭湯巡りをしたり、提灯を研究したり、無駄なことばっかり全力でやってきたので、世間一般に無駄に見えること自体が嫌いなのではなくて、熱中しようがない無為な時間や、それを作り出す人たちが嫌いなのかな。よくわからん。

会議もそうです。テキパキ進めたいので、私が進行する場合は叩き台を用意して、あとは細部の詰めと修正だけで済むようにします。もちろん、意見が言えるようにしますが、一人一人の意見を聞くのは無駄。「反対はありますか。ないですね。決定」でいいのです。積極的に反対の意見がある人はこの時に意見を言いますから。

「私はこれこれこう思うんですけど、松沢さんはどう思いますか」と、答えが出ているのに相談をしてくる人も嫌い。答えはわかっていても、決断をするのに他者のお墨付きが欲しい人たちであり、典型的な依存行動です。

検索すればすぐにわかることを他人に聞きたがる人もこれです。電話でそれを受けながら、こっちで検索して教えることになったりして、「オレの名前はグーグル君じゃねえよ」と思います。

こういう人たちも検索くらいできるのですが、生身の人を介在させることで初めて安心ができるみたい。

こういう人は要注意で、失敗した時に「松沢に従ったらひどい目に遭った」と吹聴します。自分が決断したくせに、責任転嫁できるように相談をする。成功したら自分の手柄、失敗したら他人のせい。

依存的人格障害の診断基準にあった「助言と保証が無ければ決断できない」「他人に責任をとってもらいたがる」という特徴の合わせ技です。

私が苛つく依存的性格者の例はいくらでも挙げられるのですが、キリがないのでこの辺にしておくとして、今まではムラ社会に合致していた依存的性格、依存的行動が、信頼社会に進む足枷になってきている時代だろうと思います。

矢幡洋の本のコピーで言えば「依存性が日本社会を蝕む」です。「依存性」だと「依存症」と混同されそうですが、「依存性の強い人格」という意味です。

 

 

依存的性格・依存的行動が許される時代はもう終わり

 

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今まで何度か書いてきたように、見ず知らずの人との信頼関係を作り上げるには、自分で判断し、他者に伝わるように意思表示することが必須です。そうしない限り、相手は自分を理解できず、こちらも相手を理解できない。

 

 

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