これからの宴会方法—下戸による酒飲み擁護 21(最終回)- (松沢呉一) -2,836文字-
「依存性が日本社会を蝕む—下戸による酒飲み擁護 20」の続きです。
同調圧力は従わないことでしか解消されない
日本は同調圧力が強いとよく言われますが、周りが強いるだけでなく、自分もそこに従うことで強度が保たれています。従う人はすべて圧力をかける側にいる。全員が全員従わなければ、あるいはその何割かでも従わなければ終わるんですから。だったら、そうしましょうよ。
同調圧力は均質性を求めることでもあり、「言わずともわかれ」の文化ってことでもあります。そんなもん、壊してしまいましょうよ。
思っていることをためらいなく口にすればいいだけです。そうすると何が起きるのかと言えば、たいてい嫌われます(笑)。
「そうは言ってもあの人の内心は〜」と内面を決めつけて、どこまでも自分と同質の人間だと思い込もうとして、他者の意思表示を否定したがるのも出てきます。
とりわけ女の場合は、「そうは言っても、男に言わされているのだ」と、背後に「意思ある男」の存在を仮想されてしまうのも定番。あるいは「社会に言わされているのだ」と。「女は主体的に判断するはずがない」というムラの思い込み。「女は主体的に判断できない存在。だから守らなければならない存在」というイメージ作りをせっとやってきたのは女たち自身だったりするわけですが。
しかし、そういう人ばかりではなくて、言っている内容が正しかったり、有益だったり、面白かったりする限りにおいて、支持してくれる人はいます。安心社会では通用しない存在ですけど、信頼社会では必要とされる存在です。正しくもなく、無益で、つまらないことばか言っている人はどっちの社会でも不要だとして。
すでに我々は半世紀前と同じ日本で暮らしてはいない
今だって十分に自分とは生き方、考え方が違う人たちと生活をしています。意見を表明すれば、そりゃぶつかるわさ。これは必然であり、あとはどう説得するか、されるか。合意できなきゃ、互いに違う存在としてどううまくやっていくか。
どうやってもうまくやっていけなければ、二度と接点を持たないようにすればいい。人間はいっぱいいるので、一人や二人、十人や二十人、百人や二百人程度、二度と接点を持たない人がいても問題なし。残り七十億人くらいいますから、自分とやっていける人はどこかにいます。会社ムラだと人に限りがあるので、そう簡単にはいかないですけど。
「黙っていても私を理解してくれるはず」「他人も私と同じように考える」なんて思い込みはとっくに無効になっていることに気づいた方がいいと思います。
飛行機で「肉か魚か」「オレンジジュースか水か」「コーヒーかティーか」をいちいち聞くのは当然でしょう。いろんな文化、いろんな宗教、いろんな嗜好を背景にした人が乗っているんですから。飛行機に乗らなくても、私らはすでにそういう環境で生活をしています。
見た目が同じで、同じ言葉を話す人でも、周りはすべて「私とは違う人」です。
これから先、海外に出る機会はさらに増えるでしょうし、日本にいたって海外から来た人たちとイヤでもつき合わなければならない社会になるんですよ。断らない限り、グラスやお猪口に酒を注いで、その場で飲み干すことを相手は期待することもあるでしょうよ。その時になって、「酒を勧めるのは世界標準だったのか」と気づいたって遅いって。
その時までには意思表示くらいできるようになりましょう。あるいは、その時になってもまだ「アメリカ人は押しが強い」「中国人に強制された」って言い続けるつもりでしょうか。こんな人たちが社会を蝕む。
今までのムラ社会においては意思表示する人は嫌われたでしょう。しかし、信頼社会では意思表示できない人は信頼されない。存在を無視されることになります。とっととそうなればいいと思います。
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