松沢呉一のビバノン・ライフ

知らない日本を発見する—『イザベラ・バードの日本紀行』雑感 2- (松沢呉一) -3,329文字-

陰毛は見つからず—『イザベラ・バードの日本紀行』雑感 1」の続きです。

 

 

 

アイヌの義経信仰

 

vivanon_sentence数ヶ月前、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を購入したのは、とくにこれといった動機はありません。書店に何か探しに行って、それが見つからなかったため、「せっかくだからなんか買ってくか」と思ってなんとなく購入。

前から気になっていたというわけでもなく、はっきりとはこの本の存在さえ認識していませんでした。棚を眺めていて目についたのです。古い旅行記はたいてい面白い。外国人が日本を旅行したものでも、日本人が海外を旅行したものでも。その安全パイを選択しただけ。

その期待を裏切らない内容だったわけですが、陰毛情報を求めて、『イザベラ・バードの日本紀行』上下巻も読むはめに。『日本奥地紀行』に収録されていた部分を読み直してもやっぱり面白かったので、無駄なことをしたとは思いません。

しかし、『イザベラ・バードの日本紀行』を通して読んでも、面白いのはなんと言っても、東北と蝦夷の旅行記です。これから読む人は、『日本奥地紀行』だけ読めば十分かもしれない。

どちらを読むにしても、読み進むのに時間がかかることを覚悟のこと。

とくに『イザベラ・バードの日本紀行』は上下合わせて900ページくらいあって、その分量の多さだけでなく、気になることがいっぱい出てくるので、そのたびに検索をしたり、うちにある本や国会図書館の公開データをチェックしたりして、バードと同様、ぬかるみにはまり、草木に足をとられながら少しずつ進むしかありませんでした。

たとえばアイヌに関しては、義経信仰で足をとられました。アイヌの伝説の中に源義経に関するものがあることは、「義経ジンギスカン説」の中に出てきますから(例:小谷部全一郎著『成吉思汗は源義経也』大正13年)、これ自体は知っていたのですが、バードが描くほど広範囲に、かつこうまで熱心に義経が信仰されていることは知らずにいました。

そこから国会図書館の資料を読み出してしまいました。バードも書いているように、伝説に登場する義経は必ずしもいい人ではなくて、アイヌから文字を奪った悪人だったりもします。満岡伸一著『アイヌの足跡』(昭和9年)に、そんな伝説が出ていて、アイヌの長老が魔法を駆使して義経を追う展開がダイナミック。

「本物の義経だった」という説を採用しない限りは、すべては後付けであり、おそらくは他の伝説、他の史実までがすべて義経ってことに変換されて、時に英雄、時に盗人になっていったのだろうことが、その内容の幅の広さから推測できます。これも文字伝承ではないがための特性かもしれない。文字を奪った義経が悪い。

 

 

江戸が続く地域

 

vivanon_sentence明治時代に書かれたものをそれなりには読んでいても、書き手はまず間違いなく東京か大阪を拠点にしている人です。そういう人たちが身の回りのことを書く。そこから離れる記述があるとしても、温泉地や避暑地です。あとは生まれ故郷の思い出。

夏目漱石の「坊ちゃん」のように、東京や大阪ではない場所を舞台にした小説を読んだところで、生活スタイルは東京や大阪とそうは変わらない。町には路面電車が走り、全国の都市への移動は鉄道があり。明治初期と後期ではそのくらいに違います。

バードが日本を訪れた明治11年だと、鉄道はまだほんの一部にしか存在しませんが、人力車が急速に浸透し、金さえ出せばどこまででも行けます。

バードが大阪からお伊勢参りをした時も人力車です。しかし、それなりには整備されていたはずのコースでも、途中で人力車が走るには困難な悪路があって、車夫の一人は使い物にならなくなり、お払い箱になっています。

まして東北、蝦夷となると、橋のない川を渡ったり、草で覆われているような道を進んだりしなければならず、人力車では無理。東海道や中山道のような整備された街道であれば徒歩も可能ですし、本を読み始めても、私はこの旅は徒歩で行われるのだと思っていました。

しかし、バードはこの時40代後半。この頃の東北や蝦夷は、さほど宿があるわけでもなく、もし途中で足を傷めたら、八方ふさがりです。熊だって出ますから、野宿はできない。とくにバードの場合は、簡易寝台など荷物が多い。

 

 

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