松沢呉一のビバノン・ライフ

「新宿二丁目講座」から—街を知る適切な方法・不適切な方法 2-(松沢呉一) -2,383文字-

「新宿二丁目講座」の場合

 

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もし本当に、じんけんズボラ(架空の団体ですからね)が、誤解を解き、事実を知って欲しいと考えたのであれば、街に対して敵意や悪意をむき出すような方法をとるわけがない。そんなことをして何がわかると言うのでしょうか。これでは楽して金を得たいだけと思われても仕方がない。

「知るため」「理解するため」であれば、どういう方法が考えられるのか。私がやった実例を見てみましょう。こんな話はすっかり忘れていたのですが、今回、ふと思い出しました。お気楽に、さらりとやったイベントであって、これについては改めて報告をしたり、まとめたりもしていなかったので、この機会にやっておきます。

以降は現実の話です。

二年前に張由紀夫君とデモクラシー・ワークショップで「新宿二丁目講座」をやりました。新宿の中で、二丁目がどう発展してきたか、今はどうなっているのかを見るために、明るい時間帯に二丁目を含めた新宿を見て回ったのですが、それは前座であって、メインは後半の講座です。後半の講座があってこその前半の「歩き回り」がありました。ただ現在の二丁目を漫然と見て回ったって、その歴史や背景、内実までは見えてきませんから。

定員十名で、参加費千円ですから、講師のギャラは各五千円だったと思います(主催は利益なし)。だいたいのことはわかっていても、改めて調べるために購入した資料代と、図書館でのコピー代できれいに消えています。いくらか赤字だったかもしれない。最初からそうなることを前提とした参加費と参加人数です。

当日すべてを説明すると時間が足りないので、基本的なことは事前に知っておいてもらった方が話が早く、二週間前から、Facebookで参加者向けに「新宿駅」「カフェー街」「新宿園」「花園神社」「新宿西口」「市電」「淀橋」「内藤町」「新宿追分」「京王線」といったテーマで連日予習用の書き込みをしていました。毎回、千文字前後書いています。

改めて読んで(現在は非公開)、たった一回のイベントのために、よくもコツコツ書いていたものだと自分で感心しました。あまりに反応がなかったので、参加者が読んでいるのかどうかもわからず、途中でやる気がなくなって、書いたまま未発表になったものもありますが、それらは二丁目にはあまり関係のない新宿の話。

また、悪意を持つ人たち、偏見を抱く人たちが読むことに配慮して、「詳しくは当日に」と詳細を伏せているところがあって、つくづく私はよく考えているなと。お気楽に、さらりとやったイベントなのに。

※ここが内藤新宿の中心部であったことを示す新宿三丁目交差点の表示

 

伊勢丹の継ぎ目

 

vivanon_sentence新宿二丁目講座」の数日前には、行くコースの下調べもしています。どのくらい時間がかかるのかを確認するためだけではなくて、私自身、見ておきたかったことがあったものですから。

新宿遊廓は内藤新宿の飯盛り女から発展した遊廓ですから、吉原とは成り立ちが違い、堀や塀で囲われていたのではなくて、妓楼は街道沿いに点在し、明治時代になっても、現在の三丁目にまたがって妓楼が存在していました。

現在、伊勢丹がある場所にも「新美濃」という妓楼がありました。ここにまずほてい屋という百貨店ができます。大正十五年のことです。この前年に、やはり三丁目に新宿初の百貨店として三越ができてます。場所は今とは違うところですが、繁華街の中心部はまだ新宿追分にあったわけです。

昭和八年にはほてい屋の隣に伊勢丹がオープン。その二年後に、ほてい屋を買収して合体したのが今の伊勢丹の建物です。

このことは知っていたのですが、その継ぎ目がどこにあるのかまでは考えたことがなく、事前に確認しておきました。

上の写真が継ぎ目だと思います。引っ込んでいるところから左側が元ほてい屋。伊勢丹は最初から、ほてい屋を吸収することを前提にここに進出したのではなかろうか。

どうでもいいような話ですが、一言で遊廓と言っても、吉原と新宿では成り立ちも、街の構造も全然違うってことを理解しておいた方がいいし、今までなにげなく見ていた建物の見え方も違ってきましょうから、見て歩く際にはこういうエピソードが大事。

 

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