松沢呉一のビバノン・ライフ

裸ショーの蛇姫・小夜れい子の死—蛇とエロと祟り 1- (松沢呉一) -3,404文字-

私は東京にいるヘビが好きで、「東京ヘビマップ」を作成しているわけですが、誤解されることが多いので、「東京にヘビがいること自体が好きなのであって、ヘビが好きなわけではない」とよく言ってます。「私の住んでいる山梨にもヘビがいます」と言われても、ちいとも興味がない。山梨にヘビがいるのは当たり前じゃろ。人々に嫌われつつ、ほとんど知られることなく、ひっそり都会で生きていることに言うに言われぬ共感みたいなものがあるのです。とは言え、ヘビが嫌いなわけもなく、ヘビ探しをする前から、ヘビとエロについての原稿を何度か書いています。花園神社の酉の市で、ゴキブリコンビナートの見世物を観て、蛇娘がいないことを嘆いた記念として、それらの原稿をまとめ直しました。ふだん私は「ヘビ」と片仮名表記をしていますが、「蛇娘」「蛇女」「蛇姫」との統一のため、ここでは「蛇」にしています。

 

 

ストリップにおける蛇娘

 

vivanon_sentence蛇娘、蛇女と言えば、見世物としての定番だが、現在は後継者がおらず、その座が空いたままである。

ゴキブリコンビナートの見世物には、三重かどっかの屋根裏から発見されたやもり女がいるが、やもりは使ってなくて、彼女自身がやもりのように虫を食うという設定。やもり女は美人である。どうして屋根裏に隠れていたんだか。しかし、蛇娘が出てこないのはやはり淋しい。

見世物の世界では古くからこの出し物はあったようだが、戦後間もない時期は、ストリップの世界でもヘビを扱うのがいた(※)。蛇姫こと、小夜れい子である。

昭和二三年、彼女は従妹の紅トミーと組んでスネークショーを披露して、話題となった。彼女は多数の蛇と暮らしており、自身が蛇と同化したような存在。

しかし、その人気も長くは続かなかった。小夜れい子は病気に冒されて、昭和二五年五月二二日、死去。享年二四(二六になっているものもあるが、おそらく二四)。

このことが新聞で報じられるくらいに彼女の存在は広く知られていたようだ。

ここからまた彼女にまつわる噂が駆け回る。彼女の死因は、悪性絨毛上皮腫という聞き慣れない病気であった。「蛇の祟りだ」という噂が出るのは当然として、この病気は妊娠した女性しか罹ることはない。しかし、小夜れい子は処女だと称していた。蛇はニオイに敏感で、男のニオイが体についているだけで嫉妬をする。「蛇しか愛せない。だから永遠の処女だ」と言っていたのである

そのことから、蛇を相手にしていて、その子を宿したために子宮の病気になったのではないかとも言われた。

※後述するように、今のストリップとは違い、レビューの中での裸である。

 

 

新聞記者が描いた小夜れい子

 

vivanon_sentence小夜れい子について、ある段階まで、私の知る限り、もっとも詳しい話が出ていたのは、高村暢児著『社会部の屑篭 生き返った秘話十六話』 (新書房/昭和三十年)だった。

著者は産業経済新聞社会部次長で、「新鋭作家」としてカストリ雑誌に妙な小説を発表したりもしている。この本は紙面に出ずに葬られた秘話、紙面には出せなかった裏話を綴ったもの。屑篭に捨てられた原稿というわけだ。帯の推薦文は大宅壮一で、今読んでも面白い内容だ。

この中に、「蛇と娘と死」という章がある。著者は小夜れい子に取材したことがあるため、その死にショックを受ける。そのショックは会ったことがあるというだけではなく、死因となった絨毛上皮腫という病気に驚いたのである。その病気はいったいなんなのか、彼女は処女だったはずなのに、ウソだったのかと。

彼女を担当した新宿日赤病院の医者にも取材をし、医者は子宮が荒れていたと証言する。つまり、妊娠した経験があるはずだと。しかし、その相手が誰であったのかはわからずじまいで、謎は謎のまま残されて終わる。

この本自体、ちょっと妙である。高村五郎著『蛇と娘と死 特ダネ記者の戦後秘話』(虎山出版)という本があって、中身がまったく同じなのである。タイトルを変更して、別の出版社から出されることは今もあるが、著者名まで違う。しかも、本の外には著者名がない。

おそらく版元が潰れて、印刷所が未払金の代わりとして版を売り払ったものではないか。中は版組まですべて同じ。著者名を変えてあるのは、著者に無断で出したためかもしれない。そのくせ中には元の著者名が出ている部分があって、そこだけ版を作り直すのが面倒だっためだろう。著者の詳細がわかる前書きもカットされている。しかし、目次には前書きがあることになっていて、そのため、ノンブルがズレており、最後は無駄に白紙ページがある。

あまりにいい加減な作りで、奥付も紙が貼り付けてあるだけで、版元の電話番号もないし、発行年月日もない。印刷屋か製本屋が自ら出したものかも。表紙のイラストもひどい。

 

 

小夜れい子の手記が存在していた

 

vivanon_sentence高村暢児著『社会部の屑篭』を読んで、小夜れい子のことを原稿にしたことがあるのだが、その後、もっと詳細なことが書かれているものを見つけた。雑誌「千一夜」昭和二九年二月号に、生前、本人書いたとされる手記が出ていたのだ。

 

 

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