松沢呉一のビバノン・ライフ

他者を否定する武器としての愛—なぜ他者の性を否定しないではいられないのか 3-(松沢呉一) -2,881文字-

自己の欲望を直視できず、他者を抑圧する欺瞞—なぜ他者の性を否定しないではいられないのか 2」の続きです。

 

 

 

愛の奴隷たち

 

vivanon_sentence前々回の「『おっぱい募金』批判者の傲慢—なぜ他者の性を否定しないではいられないのか 1」に対して、Facebookで花房観音さんが自身の書いた文章を教えてくれました。こちらも併せてお読みください。

愛欲と情念の京都案内 (京都しあわせ倶楽部) ここに出ているように、「AVのセックスで感じるわけがないです。だってそこには愛がないじゃないですか。AVで女の人が感じてるのは嘘です!」なんてことを言いたがる人がいますね。

私に言ったら完膚なきまでに叩きのめしますから、私を知った上で言ってくる人はいないですが、私がどこの誰か知らない人の中には、こういうことを言う人が稀にいますし、恥ずかしげもなく、同様の文章を公開している人もいます。

誰が書いていたか忘れましたが、「女はAVのように大きな声で感じるはずがない」と書いているのがいて、唖然としたことがあります。

そりゃ、演技が入っていることは多々ありますが、演技は愛あるセックスでもしばしばなされることです。男であれ、女であれ、声を出すことによって互いに興奮するという効果もありますからね。この場合は演技というより演出と言った方がいいですけど、仕事でも同じです。

こういうことを言う人は、ラブホの廊下にまで轟く絶叫を聞いたことがないんですかね。ラブホに入る機会がないんだったら、安普請のラブホの窓の下に一日立ってみるとよろしい。通報されるかもしれないけれど、時には男の声が聞こえることだってあるでしょう。

あるいはオンボロアパートに住んでいれば、イヤでもそういう声が聞こえてくるってもんです。どれも噓のセックスかよ。

一方に、声がほとんど出ないタイプ、出そうになるのを押し殺すタイプもいますが、自分がそうだからと言って、誰もがそうだとどうして思えるのでありましょうか。大人なんだから、自分と他人は違うと区別できるようにしたいものです。

自分が血液型AB型の蠍座生まれだからって、世の中の全員が同じかよ。テストで0点をとったからといってクラス全員が0点かよ。自分が納豆が食えないからと言って、「納豆がおいしいという人は噓だ」って言うかよ。

※まだ買ってないけど、花房さんの新刊は面白そうです。

 

 

愛は時に障害になる

 

vivanon_sentence風俗嬢には、「仕事でも感じる」というだけでなく、「仕事だから感じる」というタイプが少なからずいます。彼氏や夫の前では、欲望を晒せず、無防備になった姿を晒せない。「彼氏とは電気を消してじゃないとできない」「彼氏にはクンニをさせられない」「ダンナとはセックスができない」「夫とはイケないけど、行きずりの関係だとイケる」などなど。

「ちょっとお願いがあるんですけど、顔の上にまたがっていいですか。それで舌を動かしてくれないですか。彼氏にはこんなことは絶対やらせられない」なんて言うのもいます。どこの誰かもよくわからない客が相手だから、やりたいことができるわけです。

女王様にもよくいます。「男をリードして支配したいけれど、恋愛関係にあると、そういう自分を出せない」と。自分を出せないわけではないけれど、彼氏の前ではMに徹するというのもいれば、SMを始めてセックスが不要になったのもいて、人はホントにいろいろですわね。

いろいろなありようの中で、時に愛はセックスの障害になるのです。このことは恋愛感情が混じる相手には「コンドームをつけて」と言えないという話にも通じます。仕事だと言えるし、自分から用意できるのに。

こういう人たちが日常で抑え込んでいるものを発散させていい場所が性風俗だったり、AVだったりします。客の立場はもちろんのこと、働く側にもそういう側面があるという話は「不倫、露出、SM…溢れ出る欲望の処理方法-毛から世界を見る 29」に実例を書いた通り。あるいは「セックスしてないとおかしくなっちゃう」に書いた通り。

「女が自ら性的欲望を求めるのははしたない」という社会的規範があるために、性風俗でこそエロい自分を晒せる女子が出てきてしまう。

そういう場じゃなくても、「彼氏や夫とは別にセフレが必要」という女子がいて、もっぱら私はそういうのとよく遊んでました。そういうタイプは全部晒しますから、こっちも楽しく、そういうタイプは精神面でも好きにもなります。私にとっては、こちらにこそ噓がない。

 

 

愛のない場面でこそ愛が生ずる皮肉

 

vivanon_sentenceこれも花房さんが指摘しているように、こういう場面でも生ずる愛はあります。複数の相手でも愛せる、金銭授受があっても愛せる、ゆきずりでも愛せる、セックスをするから愛が生じる、などなど。

『風俗ゼミナール』の単行本のどっかに書いてますが、男が弱さをも晒せる相手は、家族でも同僚でもなく、性風俗という場所だったりする。「強いお父さん」「頼れる上司」をやらなくていい。娘が亡くなった時に号泣できる相手は社会的な存在とは別の自分までを理解している女王様だったという実例がありますし、私自身、そうなったことがあります。

 

 

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