変態はあなたの横にいる—SMの大衆化に伴う質の変化 2-[ビバノン循環湯 188] -(松沢呉一) -2,715文字-
「M女タイプではないM女の登場—SMの大衆化に伴う質の変化 1」の続きです。
どうしても満たされないマゾ心
前回の琴音ちゃんの場合、パッと見でMらしさをまったく漂わせておらず、むしろテキパキしてさえいるので、S受けは決してよくないと思う。となると、うまい具合にSの男は言いよってこない。カレシがやってくれる今はいいとして、別れたあとは辛いかもしれない。
琴音ちゃんよりもっと本格的マゾもいる。マミちゃんのことは、イメクラ嬢だった時にも何度か原稿にしている。礼儀正しいお嬢さんでしてね。最初は取材で会っているのだが、彼女は名刺の住所に礼状を送ってきた。メールや電話はあっても、礼状を送ってきた風俗嬢は他にいかなったと思う。
店では淫乱スケベ系をやっていた。スケベであることは事実なんだが、それはそれとしてSMも好き。本物のマゾだと書くと敬遠する人もいるので、雑誌では「本当は淫乱。それを素直に出せないので、Mという言い訳をしているだけ」なんて書いていたが、本物のMなんである。
カレシがいるので、セックスはカレシで満足するようにしていて、足りない部分は店でのプレイでカバーしているのだが、それでもどうしても足りない。マゾ心が満たされないのだ。
そこで彼女はご主人さまを見つけるためにSMクラブで働いたこともある。しかし、「これだ」という相手が見つからない。彼女はレベルが高くて、そんじょそこらの自称Sでは歯が立たないのである。また、好きなSMを商売でやることは苦しくて、思う存分、自分の快楽を追求することはできにくい。
「だって、これからだって時にタイマーが鳴るじゃないですか。私は一晩中奴隷になっていたいのに、六十分とか九十分じゃ無理ですよ」
そこで今度は出会い系で相手を探したが、これは全滅。たったの一人も彼女を満足させられる男がいなかったという。
「単にエッチがしたい人が多くて、口では大きいことを言うんだけど、ロクにプレイもできない人ばっかりなんですよ。私がしたいのはセックスじゃなくて、SMなのに。十人以上に会ったけど、全員一回でお断りでした」
雑誌に出ているような緊縛師でさえ、単なるスケベオヤジだったという話はよく聞く。SMという枠組みの中で欲望を出すためにマゾだと自称しているタイプはそれでもいいんだろうが、セックスは十分できていて、その上、SMをやりたいマミちゃんのようなM女は、すぐにチンコを入れようとするようなS男性では話にならないのだ。
「セックスとSMは別だってわかっている人じゃないと私のご主人様にはなれません」
そこの部分は私では叶えてやれないが、エロの部分では彼女とは気が合うので、取材で知り合って以降、私は時々遊びに行っていた。
鮭のように必ずここにまた戻ってくるはず
たまたま彼女としばらく会っておらず、久々に店に行ったら、マミちゃんの写真がない。店長に聞いたら、結婚して店を辞めたという。
「ご主人さまが見つかったんだ」
「いや、結局見つからなくて、相手は普通のサラリーマンですよ」
つきあっていたカレシとはまた別らしい。
「結婚したのは、彼女が風俗で働いていたことも、マゾであることも知らない人です」
しっかりしたコなので、たぶん経済的にも安定した男を見つけたのだろう。
「でも、そんな生活に満足できるわけがないでしょ、彼女の場合」
「だと思いますよ。結婚前に僕のところに来て、“しばらく預かってください”って、ムチや拘束具やバイブをたくさん置いていきました(笑)」
二度とやらないつもりだったら、捨てるなり、あげるなりすればいいわけで、しばらくたったらまた必要になることを彼女自身、よくわかっている。
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