売防法が生み出した用法—「本番」がセックスの意味になった経緯 2-[ビバノン循環湯 191] (松沢呉一) -3,176文字-
「映画から? ストリップから?—「本番」がセックスの意味になった経緯 1」の続きです。
赤線廃止以降の生き残り戦略
「アサヒ芸能」(東西芸能出版社)の昭和三三年六月八日号の特集は「性をもてあます夜—出張サラリーマンの冒険新地図」。売防法によって赤線地帯がどうなって、客がどこに流れたのがを追った記事だ。
以下は名古屋の中村(赤線時代は「名楽園」)の状況。
八十一軒のうち、純粋旅館に転業したのが四十軒、トルコ風呂兼旅館六、バー兼旅館六、飲食業兼旅館六、トルコ風呂二、その他アパート、小間物屋となっている。
トルコ風呂兼旅館の内実がよくわからないが、戦前の待合のように、単に宿泊施設に蒸し風呂としてのトルコ風呂があるだけでなく、ミス・トルコがいるトルコ風呂で宿泊もできる店があったらしきことが他の雑誌にも出ている。今から行ってみたくなる。
中村は名古屋駅から近いため、旅館が成立する余地があって、今も遊廓時代の建物をそのまま使って旅館をやっている業者がある。今は単なる旅館だが、当時、こういった旅館の中には、客引きと組んだ売春宿が出現するようにもなっていたので、建前は健全サービス、本音は売春宿というスタイルがあってもおかしくないのだが、それを匂わせながらも、「東京温泉」同様の健全サービスで旅館客を集めていただけかもしれず、売春までしていたのかどうかは不明。
これ以降、さらにトルコ風呂に転じたり、外部から業者が入ってきて、中村はトルコ街に発展していく。
「保健売春」の実情
やはり売防法の全面施行の直後に出た「週刊大衆」(双葉社)の昭和三三年六月九日号の特集「さまよう“買春”人口」には、こんな記述も。
売春取締対策本部がつかんだデータによると、三つの種類に大別される。“紹介売春”(施設結婚紹介所など)がその筆頭で、次が“飲食売春”(キャバレー、バーなど)“保健売春”(トルコ風呂、温泉マーク、あんまなど)の順になっている。
「保健売春」は、保健所管轄の業態での売春という意味だろうが、この時点では、トルコ風呂で売春まで行われていたことは間違いなさそうだ。
しかしながら、なお大っぴらになされていたのではなく、警察の監視も厳しかったため、店も個室内に目を光らせていて、女たちはこっそり客と約束をとりつけて、店の外で商売をすることが多かったようである。
ここまでの経緯を見ていただけるとわかるように、トルコ風呂でエロサービスが行われるようになったのは、店が主導したのでなく、まずは女たちの意思であった。意思なき女たちを被害者として救済するという考えに基づいて制定された売春防止法をきっかけにして、女たちが自主的に売春を始めたのは皮肉である。
しかし、徐々にこれが店のサービスに組み込まれていく。
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