小田和正は自由に歌詞を書き、西野カナは音楽業界に強いられている?—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 9-(松沢呉一) -3,048文字-
「アイドルのチャート独占とジャンルの傾向—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 8」の続きです。話は続くのですが、ピョークから離れるので、このシリーズはここで終わっておきます。
「らしさ」は誰が作り出しているか
前回書いたように、それぞれのジャンルに期待されるジャケットの仕様があります。
同じように、それぞれのジャンルに期待される歌詞があり、それぞれの歌い手に期待される歌詞があります。ビョークが姿を見せることを期待されてしまうように、ラブソングばかり歌っている人は次もそれを期待される。ラブソングでファンをつかんだミュージシャンがそのファンの期待に沿っていると、どんどんラブソング率が上がります。
こうして男だって恋愛のことばかり歌っているのがいるように、女にもそういうのがいるってだけ。それが自主的である限り、とやかく言うことではないでしょう。
小田和正ともなれば、宇宙や原子について歌っても、誰も文句は言わない。「期待される小田和正」から逸脱するため、ファンには受けないかもしれず、レコード会社もシングルにはしないかもしれないけれど、歌えないはずはない。それでも、小田和正は恋愛の歌ばっかり歌っていて、それは本人の意思としか思えない。それ以外に興味がないのでしょう。
西野カナも「期待される西野カナ」から外れるものはレコード会社がプッシュしない可能性はあります。宇宙や原子の歌だけじゃなく、一読して意味をとらえにくいひねりがあるものも同じ。そんな曲を書いてきたら、「中高生にもわかる歌詞にして」とディレクターは言うかもしれない。
では、この西野カナの路線は誰が作り出したのか。共作になっているものを含めて、ほとんどの曲に自身が関わっていますから、小田和正同様に、自身の世界観だと推測できます。
自分自身の世界観と違いながら、「こういうのが受ける」という計算からやっているのだとしても、また、レコード会社からのアドバイスはあるとしても、そう判断しているのはもっぱら自分でしょう。
西野カナを支える人たち
西野カナを支持するのは女子中心だと思ったら、男のファンが増えてきていて、今現在、コンサートは4割程度まで男になってきているとネットで複数の人が証言しており、Facebookでのフォロワーの男女比もそれを裏付けています(Facebook自体の利用者の男女比を計算に入れて、6対4で女子が多い)。
なお、この男らの中には少なからずゲイがいるようです。「思いを伝えられない」「願いを叶えられない」といったもどかしさに特有の思い入れがありますので。「それにしても、もうちょっと聴くものを選べよ」と思いますけど、それもまた個人の選択です。好きにすればいい。
その内実はともあれ、男女の率が近づきつつあるのは、男のファンが増えた結果であって、デビュー当初は7割から8割が女のファンだったと思われます。女が作り出し、女が受け入れた。「女は恋愛のことで頭をいっぱいにしている」という曲を好き好んで作って、好き好んで感動したり、共感したりしているのは女たちで、そこに男がくっついてきている。
一方で「男は恋愛のことで頭をいっぱいにしている」という曲を歌い続ける小田和正のようなのもいて、Facebookのフォロワーで見ると、男の方が小田和正を支持をしています。その絶対数は男女で違う可能性もありますが、このマーケットは男女ともに存在しています。
どちらも多くの支持を集めているのは、ラブソングがメインだからであって、ニーズがこういったミュージシャンを生み出しているわけです。レコード会社がどうしようとこれが現実です。
とは言え、そういったミュージシャンは同時に叩かれ、バカにされる。売れれば叩かれるのが世の常ですが、昨今、西野カナほどバカにされる存在はなかなかいないでしょう。すでに西野カナが話題にされる時期は終わっているかもしれないですが。
そして、しばしばバカにするのは女たちです。そういった言葉を私も女たちから聞いてます。綿谷りさには「勝手にふるえてろ」とまで言われてます。「銀河系のことを考えてふるえる」と歌っていたら、こうまで叩かれ、バカにされることはないでしょう。たぶん売れなかったでしょうけど。
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