松沢呉一のビバノン・ライフ

新宿二丁目の怖い話—飲み屋街の怪談 1-[ビバノン循環湯 198] (松沢呉一) -3,577文字-

五年ほど前にどこかのムックに書いたもの。二丁目だったら幽霊話が山のようにあるだろうと意気込んで聞き込みを始めたのに、生身の人の怖い話ばっかりで、自身が経験した霊についての話はちょっとしか出て来ない。これでは原稿にしにくいので、続いて歌舞伎町でも聞き込みました。「歌舞伎町編」は次回。

 

 

 

新宿二丁目は幽霊だらけ?

 

vivanon_sentence飲み屋街には怪談がつきものだ。私がよく行っている新宿二丁目も例外ではない。

こんな話を聞いたことがある。

「墓場に隣接している店で飲んでいると、着物を着た女が店の隅に立っている」

二丁目にはかつて遊廓があった。戦後は赤線となり(青線も共存)、昭和三十三年の売防法全面施行によって二丁目は寂れ、歓楽街は歌舞伎町に移動したが、あとに入る店は少なく、家賃が安かったのはゲイバーにとって好都合であったし、目につくことを嫌う同性愛者たちにとっても寂れた二丁目は格好のロケーションであったのだ。

こうして都内の点在していたゲイバーが集まってきて日本最大のゲイタウンとなり、現在では異性愛者を対象とする店を含めて三百軒を超えるゲイ、レズビアン、ニューハーフの店が存在している。

今も遊廓時代の遺物が寺で見られる。二丁目には成覚寺正受院太宗寺の三つの寺があり、そのうち成覚寺は三ノ輪の浄閑寺同様、「投込寺」と呼ばれている。

おそらくこれは後付け。浄閑寺が「投込寺」とされるのは安政の大地震の際、遊女に限らず、大量の死者が出たために穴に遺体を投げ込んだことが由来だ。これが身寄りのない遊女を粗末に扱ったと史実が曲げられたのが真相であり、これが成覚寺に移入されたものだと私は見ている(「明治末期以降『遊女が寺に投げ込まれた物語』が完成」を参照)。

しかし、不遇の死を遂げた遊女たちがいたのも事実。客と女の心中はつきものである。「愛し合った男と女が一緒になれずに死を選ぶ」といった心中は極一部であり、その多くは無理心中だ。男の側に死ぬ理由があって、女は道連れにされる。 そういった女たちの浮かばれない霊が今も二丁目をさまよっていても不思議はない。

 

 

遊女の幽霊とママの幽霊

 

vivanon_sentenceこんな話も聞いた。

「店を閉める時、ママがカウンターの上に水を入れたグラスを置く。“なんで?”と聞いたら、“遊女たちが水を欲しがるから。次の日に店に出ると、水が半分くらいに減っているの”」

二丁目では、男でも女でも「ママ」と呼ぶ。売春をしていた女たちの霊だけではなく、もうひとつの怪談パターンはそのママにまつわるものだ。

「二丁目ではママの自殺が多い。家族の縁も切れ、社会からドロップアウトして店を始めた人たちは戻る場所がない。借金がかさむと追い詰められて死を選ぶ。次にその店を借りたママが、夜、店に出ると、いないはずの店の中に誰かがいる。首を吊ったはずのママが客を待っていた」

死んでもなお行き場がない。

つい最近、かれこれ二十年ほど二丁目に出入りしている人物からはこんな話を聞いた。

「ママが店で自殺した物件を借りた新しいママがまた店で自殺した。不思議と自殺が続く物件があるんだよ」

これらの話はすべて伝聞である。しかし、二丁目で聞いて回れば、これらの怪談を体験した人たちに出会えるだろうし、運がよければ、彷徨える遊女やママに出会えるだろう。そう思って取材を開始した。

 

 

二丁目振興会会長の話

 

vivanon_sentence新宿2丁目振興会の会長である福島光生氏が経営する「メゾフォルテ」(現「Leo LOUNGE TOKYO」)を訪れた。振興会は商店会とは別で、ゲイバーを中心とした会である。

「また昨日、うちに出たのよ」

「ヤダー、うちもよ。お客さんが、怖ーい顔をして窓から覗いている女を見ちゃって、縁起でもないから早くに店を閉めたわよ」

「顔があるならまだマシ。うちには首のない兵隊さんが居着いているんだから。この間、細木数子さんがうちに来て、“遊廓の女と愛し合って、戦争から帰ってきたら結婚する約束をしていたのに、フィリピンの戦闘で、砲弾に当たって首が飛んで戦死した人の霊です”って言っていたわよ」

「細木数子ってもう死んでいるじゃない」

「あら、それも幽霊」

振興会の会合では、毎度、こんな会話が交わされているに違いないのである。

ところが、福島さんはこう言う。

「自殺が連続する物件の話は信憑性がないと思いますよ。僕が知っている限り、十五年ほど前に店内で首を吊ったママがいたくらいで、店内で自死した話は他に知らない。年配の経営者もいますから、毎年のように亡くなる人はいますけど、死因まではわからない」

ここは二丁目の特殊事情にもよる。一人暮らしのママが亡くなった場合、警察は親族に連絡をする。親族は身内で処理してしまって、二丁目の人々には連絡をしないため、親しかった二丁目の人々は葬儀に出ることもできず、死因さえわからないのだ。

振興会の会長がそう言うのだから、十五年ほど前のその話に尾ひれがついたのか、たまたま別の事情で亡くなったママが続いただけだったのだろう。

この「メゾフォルテ」はまさに墓場の裏に位置していて、店のある建物を出ると、すぐ前に正受院の塀があり、その上に卒塔婆が飛び出している。

 

 

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