松沢呉一のビバノン・ライフ

恵方巻きはお座敷遊びだった可能性が高い—BuzzFeedの記事を検証する(笑) 3(最終回)-(松沢呉一) -3,258文字-

「花柳界」という言葉の始まり—BuzzFeedの記事を検証する(笑) 2」の続きです。

 

 

 

美人評判記に見られる「花柳界」の例外的用法

 

vivanon_sentence恵方巻きのもっとも古い資料とされるビラにあった「この流行は古くから花柳界にもて囃されていました」の「古く」がいつからかはわからないのですが、前回見たように、「花柳界」という言葉が出てきたのは明治半ば以降であり、その言葉が登場した段階から芸者町を意味するものであったと判断できることから、おそらく恵方巻きは、遊廓とは無関係であり、明治半ば以降、お座敷遊びから始まったものだろうと推測できます。

「花柳界」という言葉がまだなかった時代に始まったものだとしても、遊廓で始まったものを「花柳界に」と表現はしないでしょう。

しかし、何事も例外というものがあって、明治時代のものには、遊廓を含めて「花柳界」という言葉を使用しているものがあります。つまり、色町の総称。

古田隆一 編『花柳界美人の評判記 神戸市内・西ノ宮・明石』(明治42)は、序文で説明されているように、細見の発展型のような内容で、明治時代はこういうものに「評判記」とつけているものが見られます。

内容は芸妓に重きがありつつも、娼妓も紹介しており、この「花柳界」はどちらも含むものだと思えます。すべてに目を通してはいないですが、編者は「芸娼妓の評判記」であることを説明しており、両者を同じく花柳界としているように読めます。

しかし、これは明治のものです。「花柳小説」といった言葉によって意味がさらに狭められた昭和初期になって、船場の旦那衆がそれぞれに娼妓と始めたものに、わざわざ「花柳界」は使わないでしょうから、言葉から見る限り、恵方巻きはお座敷の遊びだったと確定できそうです。

 

 

状況から考えても恵方巻きが始まったのはお座敷

 

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恵方巻きが始まった花柳界は新町である可能性が高い。船場に近く、関西を代表する遊廓であり、芸者町です。東京の吉原に匹敵する場所だったと言っていいでしょう。

新町にはどちらもあったわけですから、茶屋であっても、貸座敷であってもいいわけですけど、その時の光景を想像すると、お座敷の方がリアルです。

節分です。春を迎え入れる日でありますから、あっちゃこっちゃで行事があり、豆まきが行われ、こんな日は宴会をやるに決まってます。

前々回書いたように、神仏の行事には芸者衆が招かれます。節分となると、豆まき役も芸妓がやったかもしれない。

その夜は芸者衆は忙しくなります。行事のあとは宴会ですから。

 

 

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