BiSH「オーケストラ」はなぜ可能だったのか—アイドルって面白い 3(松沢呉一) -2,636文字-
「Maison book girlの虜—アイドルって面白い 2」の続きです。
BiSHの「オーケストラ」
Maison book girlの次に私の人生に衝撃を与えたのは、BiSHでした。
この曲。
切ない。歌詞も映像もアイナ・ジ・エンドの声も切ない。アイドル・グループの個人名と顔まで覚えるような人間になるとは最近まで思っていなかったぜ。
曲自体、切ないのだけれど、PVがその上を行く演出をしています。
「僕」は、転校してしまう「君」に思いを伝えられないまま、「サヨナラ」で終わってしまったと思っているわけですが、「君」は最後にもう一言を呟いていたのです。「僕」はそれに気づかず、今も気づいていない。
未だなんと言っているのか確信はないのですが、唇を読むためにポーズにして検討し、「ああ、そうだったのか」と気づいたら、この曲とBiSHに心奪われてました。
若い女子にありがちな同性に対する恋心でしかなく、あるいは女子校でよくある代償としての心の動きでしかなく、これは同性愛とまでは言えないという意見もありましょうが、それを何年経っても思い出し、悔いていますから、これは同性愛の領域です。
※映像では「女と女」であることは明らかですが、歌詞は「僕と君」であって、「男と女」とも思えるのですが、アイドルの曲における人称についてはまた改めて見ていきます。
この国で自分を晒すことの困難
よくこんな話を語り合います。
「どうやったら欧米のように、日本の著名なミュージシャンや俳優たちがカミングアウトできるようになるのか」「どうやったら台湾のように、著名なミュージシャンたちがサポートを表明するようになるのか」「ことによると、機会がないだけで、その場をこちらで作れば、あっさりと語るのもいるのではないか」「だったら作るか」みたいな話。
MISIAみたいなのもいるにはいますけど、東京レインボープライドのスタッフは、誰が来てくれるのか、誰にメッセージをもらえるのかで年中頭を悩ませています。
この曲にしたって、はっきりとLGBTを歌ったものではありません。
「事務所のせい」は本当か
しばしばこの難しさは事務所に原因があるとされます。本人はやりたがっても、事務所が許可しないと。実際、そういうケースもあるのだと思います。本人に確認しないまま、事務所が断ることも多いのでしょう。
売り方次第、ファン次第というところもありますが、たとえば自身がゲイである、レズビアンであると公言することによって、売れなくなる可能性はゼロではない。あるミュージシャンがゲイであるとの噂が出ると、ファンは「そんなわけがありません」と懸命になって否定する様子がネットでも見られます。
あるいはヘテロでも、結婚した途端に人気が落ちることがあって、「あの人といつか私は結ばれる」なんて夢を見ているファンを集めていると、そういうことになるみたい。自分が作り出したイメージによって、身動きがとれなくなる。ビョークの件にも通じる話です。
そうすることによってファンが減る、しかし、その分、支持が増えるという状況があれば別でしょうけど、現に今の日本ではそうなっていない。
しかし、そうも「アーティスト=善人/事務所=悪人」なんてきれいに区分することはできないわけで、ミュージシャン自身が関心を示さなかったり、面倒くさがったり、人気が落ちることを危惧していたりするのだろうと想像します。誰かにそのことを言われたら、「事務所がうるさいんだよ」と言い訳をしておけばいい。
※「オーケストラ」収録のアルバム「KiLLER BiSH」
アイドルだからできた
そんなこの国において、はっきりと女による女への気持ちを歌い上げたのがアイドルであったことに、私は戸惑いました。どういうことだろう。
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