共感できない夫婦—『夫のちんぽが入らない』における「ちんぽ」の考察 5-(松沢呉一) -1,944文字-
「ちんこ・ちんぽ・ちんぼ—『夫のちんぽが入らない』における「ちんぽ」の考察 4」の続きです。
店頭でも売れ行き好調
紀伊国屋新宿本店入口の屋外に、もっともプッシュしている本を置くコーナーがありますが、三日ほど前に行ったら、そこにも『夫のちんぽが入らない』が三面出しされていました。ちょっと前はなかったと思うので、新聞広告の効果でさらに売れているのかも。
紀伊国屋のサイトによると、和書一般では10台から20位台を行き来していて、文芸ジャンルではベスト10入りしています。店舗、地域による差が大きい本でしょうから、店によってはもっと上かもしれない。
自分の本だとそんなに書店での扱いや売れ行きを気にしないですが、『夫のちんぽが入らない』は気になります。
ちんぽをタイトルに入れたため、私も無関心ではいられず、自分のことかのように売り上げが気になるのですが、内容が好きか嫌いかで言うと、全然好きではないです。
いまさらなんてことを言うのかって話ですが、私はこの本に、また、この夫婦に共感しきれない。イライラしますし、「バカじゃなかろか」とも思います。そのことが深刻な自体を引き起こしたかもしれないだけにそう思う。
以降はその辺を書いておくことにします。
「ちんぽ」によるアクセス増加に見る不思議
さすがに効力が落ちてきてますが、「ビバノン」で、ちんぽをタイトルに入れると顕著にアクセスが増えました。ちんぽ、強し。
しかし、Facebookでシェアはされにくくなります。「いいね!」もつきにくい。なのに、アクセスは多い。つまるところ、興味はあるのに、そんなもんに興味のあることは知られたくない人が多いのだと思います。
この姿勢です。こだま夫婦において「ちんぽ問題」がこじれたのはこの姿勢なのです。セックスを恥ずかしがり、相談もできず、正面から向き合おうとしない人たちの末路です。
誰しも、今日明日解決しないとならないわけではない問題は先送り先送りにしてしまうことがあるでしょう。私もよくやります。
そのことが頭のどこかに常にあるのですが、「触れたくないコーナー」に押し込んで、それによって澱のように「イヤな感じ」が蓄積していき、いよいよ触れられないものになってしまう。逃げられなくなった段階では、解決できたこともできなくなっている。
『夫のちんぽが入らない』はそのイヤな感じ、ダメな感じが全編を通して、どよーんとよく描かれていて、自分の中にあるその部分がえぐられます。
それにしても、と思います。そういう感覚が自分の中にもあるとは言え、このテーマではどうやっても私はこうはならない。
※紀伊国屋のサイトより。
彼らが試していない解決法
たとえばそのような相談を知人から受けたら、私は「小さいディルドを買ってきて、それが入るようになったら、もっと大きいのを入れて、拡張していけば?」なんて答えるでしょう。男であれ、女であれ、私自身が当事者だったら、そうしますから。
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