松沢呉一のビバノン・ライフ

アイドルの一人称「僕」は中性性か少年性か、はたまた—アイドルって面白い 7(松沢呉一) -2,384文字-

一人称に「僕」が多用される理由—アイドルって面白い 6」の続きです。

 

 

 

「僕」の解釈さまざま

 

vivanon_sentenceアイドルの曲における「僕」の多用について、私なりの推論をしたはいいものの、アイドルの理解自体が一夜漬けですから、まったく自信はなくて、検索をしてみたら、いろいろ解釈が出ています。

たとえば「男のリスナーがそこに自己投影できる。女からすると、自分の好きな男からのメッセージと受け取れる」(要約)といったもの。これがひとつの典型的解釈です。男女のファンを取り込むのに「僕」は便利ってことです。

たしかに、秋元康の歌詞の中には、男とも女ともとれるように作られたものがあります。

 

 

 

 

水着のラインも気づかなかった」のが「僕」か「君」かがわからない。どっちが男でどっちが女かもわからない。どっちでもいいんでしょうけど。

しかし、この解釈は男でも女でも使う「私」と「あなた」であればもっと汎用性があります。男女ともに、「私」にも「あなた」にも自己投影できるのですから。

また、特別に「僕」にそのような効果があるのであれば、もっと早くから「僕」は重宝されてきてよかったはず。

 

 

「僕」という人称はフォークから?

 

vivanon_sentenceおそらく「僕」と継続して歌ったのは森田童子が始まりかと思います。この時代には他にも「僕」を一人称にして女が歌った例がいくつかあって、伊勢正三の作詞ですけど、イルカの「なごり雪」もそうです。フォークが「僕」の第一世代だろうと思います。

以降、東京少年遊佐未森など、「僕」を継続使用した女性シンガーソングライターは少しはいました。

遊佐未森では「瞳水晶」が好きです。

 

 

 

 

また、歌謡曲ジャンルでは銀色夏生小泉今日子に提供した歌詞で「ボク」「僕」を使っている例がありますし、男の歌い手に提供した「僕」の曲を女の歌い手が歌った例はありますが、銀色夏生も、女の歌い手に提供している歌詞では原則「わたし」「私」のようです。

ざっと見ただけですから、漏れはあるでしょうが、小泉今日子の曲には「ボク」「僕」と書いたのは、小泉今日子はそれまでの歌謡曲からはみ出す存在だったと銀色夏生が見ていたってことなのでありましょうか。

いずれにせよ、あるところまでは一部に留まっていて、ここに来て急増したことの理由として、「男女ともに自己投影できる」という理由ではやはり弱いと思います。

私とはまたちょっと違いつつ重なるものとして、アイドルというフィクションに触れながら、中性性の人称であると指摘している人もいました。

また、ただの男ではなくて、「僕」は少年イメージなのだと指摘する人もいます。生々しい男ではなく、生々しい女でもない存在ってことです。思春期の女がとくに使用する一人称の言葉がないので、男、とくに少年期に多用する「僕」を転用したってことですね。最近のものではなく、古い時代に「僕」を使用してきた人たちはこの効果を求めていたかも。

それぞれに同じことを違うアプローチで語っているようで、あるいは似たことを指摘しつつも違うことを語っているようでもあって、面白い。

 

 

「私」では拾いきれないもの

 

vivanon_sentenceどの説にしても、「なぜここに来て急増したのか」を説明しなければならず、それは曲を聴けばわかるというのが私の主張。

 

 

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