松沢呉一のビバノン・ライフ

女学生の言葉にも種類がある—女言葉の一世紀 7-(松沢呉一) -3,786文字-

林芙美子自身の言葉遣い—女言葉の一世紀 6」の続きです。

 

 

母親の言葉

 

vivanon_sentence林芙美子著『放浪記』からさらに拾っていきます。

以下は母親との会話です。

 

二三日前から泊りこんでいる、浪花節語りの夫婦が、二人共黒いしかん巻を首にまいて朝早く出て行くと、もう煤けた広い台所には鰯を焼いている母と私と二人きり。

あゝ田舎にも退屈してしまった。

「お前もいゝかげんで、遠くい行くのを止めてこっちで身をかためてはどうかい……お前をもらいたいと云う人があるぞな……。」

「へえ……どんな男!」

「実家は京都の聖護院の煎餅屋でな、あととりやけど、今こっちい来て市役所へ務めておるがな……いゝ男や。」

「………………。」

「どや……」

「会うてみようか、面白いな。」

何もかもが子供っぽくゆかいだった。

 

※「遠くい」は誤植ではなく方言だと思います。

 

「私」は東京生活を経ているので、あまり方言は出ていません。ここでは「会うてみようか」くらい。

当時は今よりずっと方言が強かったですから、なかなか方言が抜けない人もいたでしょうが、林芙美子は、自分には故郷というものがないと言っているように、幼い頃から各地を転々としてきているため、特定の方言が身に付いていないのだと思います。私もそうですが、自分の言葉がないため、いろんな地域の方言をすぐに取り入れたりもします。

母親はおそらく徳島弁。この会話の舞台も徳島です。四国の中ではもっとも関西弁に近い。

他の箇所で、徳島での会話の中に「私」が「-わ」を使用しているところがありますが、これは男でも使用する「-わ」とも読めます。なんにせよ、「私」はベタベタな女言葉も、ベタベタな方言も使用せず。

 

 

女学校の友だちの言葉

 

vivanon_sentence以下は女学校時代の友だち、お夏と京都で会った時の会話です。

 

 

女学生らしいあけっぱなしの気持で、二人は帯をゆるめてはお変りをしては食べた。

「貴女ぐらいよく住所の変る人ないわね、私の住所録を汚して行くのはあんた一人よ。」

お夏さんは黒い大きな目をまたゝきもさせないで私を見た。

甘えたい気持でいっぱい。

丸山公園の噴水にもあいてしまった。

二人はまるで恋人のようによりそって歩いた。

「秋の鳥辺山はよかったわね。落葉がしていて、ほら二人でおしゅん伝兵衛の墓にお参りした事があったわね……。」

「行ってみようか!」

お夏さんは驚いたように瞳をみはった

「貴女はそれだから苦労するのよ。」

 

 

お夏さんは京都にもかかわらず、京都弁は出ておらず、上品な女言葉です。「私」を「貴方」と言いつつ、「あんた」とも呼んでいるところが仲の良さを見せています。

「私」の言葉は「行ってみようか!」しかないのですが、少なくとも女学校時代は「私」も女言葉を使っていただろうと思います。女言葉は女学校言葉でもあります。

 

 

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