松沢呉一のビバノン・ライフ

「-ぜ」を否定する人たちはアイドルを聴いて反省せよ!—女言葉の一世紀 27-(松沢呉一) -2,697文字-

下町の女が使っていた言葉をアイドルが復活—女言葉の一世紀 26」の続きです。

 

 

 

「-ぜ」は大衆の言葉

 

vivanon_sentence前回書いたように、反レイシズムのフレーズ「仲良くしようぜ」の「-ぜ」に難癖をつけたアホどもは「朝日新聞」で深夜ドラマの言葉遣いに難癖をつけたジャーナリストと通じます。無自覚な支配層の番人です。

この連中は「-ぜ」は男言葉であると決めつけて、このフレーズはセクシズムであると主張。無知な恥知らずはこれだから困ります。

以下はFacebookに書いたものです。この段階では、女も「-ぜ」を使ってはいたはずだと思いつつも、それを示す資料はすぐには出てこなかったため、そのことには触れていません。

 

「ぜ」問題の中間報告。以下、長谷川昭仁さんの調査と考察に多く依ってます。http://www.facebook.com/permalink.php… また、資料の裏付けがなお十分ではないことをお断りしておきます。

「-ぜ」という接尾辞がどの時代から出てきたものなのか、未だはっきりしないのですが、近代のものではなく、江戸時代からあった可能性もありそうです。江戸弁です。少なくとも明治には東京の、とくに下町言葉として使用されてました。

ローカルな言葉であるとともに、庶民の言葉であり、これらは大正以降のプロレタリア文学で多く取り上げられていきます。江戸弁は職人の言葉でもあり、これが労働者の言葉、無産階級の言葉として使用されていく。時には東京近郊における農民の言葉でもありました。

以下は、『「戦旗」「ナップ」作家集』第 1 巻より

「おいおい、大変だぜ、工場ン中え誰か赤えビラを撒きァがったんだ。」

「へえ、赤えビラって、どんなビラでえ?」

「お前ンとこを探して見な。きっと出てくるぜ。見附かったビラは職長が皆持ってっちやったがね。」

戦後「-ぜ」を石原裕次郎、小林旭らが不良、チンピラ、はぐれ者、流れ者の言葉として使うようになり、広く一般に浸透させたのは、日活を筆頭とした青春映画であろうと思われます。これが1950年代末から1960年代にかけて。

1970年代以降は、これを引き継いで、ロックが一人称の「おいら」などと並び、好んで使う語彙としていきます。不良イメージ、はぐれ者イメージ、流れ者イメージの継承です。この頃にはとくに不良というわけではなくとも、東京とその近郊では「-ぜ」を使うようになっていたかと思います。

1980年代以降は、マンガ、アニメで、女性が「-ぜ」を使う例が出てきます。「あえて」ということでしょうけど、これが女性の使用を促していったことは想像に難くない。

今なお男女の使用に不均衡はありましょうが、以上の流れを見た時に、男と女という軸だけでなく、山の手と下町、有産階級と無産階級、資本家と労働者、知識層と大衆、ホワイトカラーとブルーカラー、優等生と不良という対立軸の中で見ていくべきワードであることがわかります。

よって、「-ぜ」という言葉を嫌う発想は山の手が下町の言葉を奪うこと、知識層が大衆の言葉を奪うこと、優等生が不良の言葉を奪うことでもあるわけです。

「仲良くしよう」に比べて「仲良くしようぜ」は男臭さを感じることができる一方で、ラフであり、フランクでもあって、これは歴史的経緯を考えるともっともです。実際のところ、「仲良くしようぜ」の「ぜ」に何が込められていたのか、私は聞いていないのですが、私はどちらがいいかと問われれば、やはり「仲良くしようぜ」を選びます。

それは「仲良くしよう」という優等生的なフレーズを緩和させるためです。「おいおい、仲良くしようぜ」と男組が言った時には別の世界が広がります。「ぜ」が幅を広げている。深読みかもしれないですが、一部の頭でっかちな知識層ではなく、より広い層がレイシズムを許さないのだという含意がある。

反レイシズムを自分たちだけの遊び道具にしておきたい人たちは、だから、この言葉を嫌うんじゃね?

 

 

言葉を奪うのはアイデンティティを奪うこと

 

vivanon_sentenceここですでに私は「男と女」という軸ではない軸で見るという発想をしています。

 

 

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