松沢呉一のビバノン・ライフ

ハロルド・グリーンウォルド著『コール・ガール』と照らし合わせた結果—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 5-[ビバノン循環湯 222] (松沢呉一) -5,558文字-

売防法がサポートした暴力団支配そして薬物—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 4」の続きです。

 

 

 

注意深く読むべし

 

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仮に『閉じられた履歴書』を参考にして、高里鈴代さんが「大体彼女達の後ろにはヒモがいたり管理する男がいます」と言ったのだとしたら、あまりに杜撰だ。何を参考にしたとしても杜撰なのだが。

ピーク時でさえ、ヒモのいるケースは少数派であり、とりわけ悪質なヒモは一割にも満たなかったことが想像でき、「ほとんど」「大体」という形容ははっきり間違いである。宗教的信念に突き動かされ、事実なんてどうでもいい人に何を言っても無駄だが。

高里鈴代には著書もあるのだが、あらゆる場面で事実の確認もしないまま、適当なことを断定調で書いているのではないかと疑わないではいられない。少なくとも道徳がからむと、道徳を優先し、事実を踏みにじる可能性が高いため、いちいち根拠を調べ、元資料を確認して読むのが無難かと思う。

ヒモに限らず、それらの古い例を使用するのなら、数字を検討して、「昔はひどかった。それに引き換え、今はなんて労働環境が向上したのだろう」と言うべきだ。その上で、現在何が問題なのかを見極め、対策をとることが必要であり、嘘を平気でつく道徳主義者の言うことはノイズにしかならないことを改めて確認する。

高里さんは、ふるーい、ふるーい海外の資料を読んで、宗教的道徳観に合致する事実だけを拾い集めて、自身の売春観を作り上げているのではないかと思わないではない。

たとえば娼婦の調査としてよく知られるパラン・ジュシャトレー(Parent Duchatelet)著『衛生倫理行政上より観察したる巴里公娼論』というよく知られる本がある(『巴里公娼論』と略される)。原書は一八三六年に出ており、明治初期に日本でも初訳されている。

アウグスト・ベーベルの『婦人論』など多くの本で取り上げられているのだが、ここではヴィクトリア時代の道徳から見た売春論が展開されており、娼婦たちは精神異常者として扱われていて、とうてい今の時代に通用するものではない。

日本では江戸時代に出たものなのだから、内容が古いのは当然だが、こういうものが日本にも少なからず影響を与えた節がある。道徳派の道徳はまさにヴィクトリア時代のそれであって、今の時代にも、偽善的クリスチャンたちはこういったものを読んで「この通り」と思うかもしれない。

 

 

 他者の著作を悪用

 

vivanon_sentenceこういうものまで彼女らが調べているとも思いにくいが、海外の資料を取りあげている箇所でも、兼松さんの見方が誤っている、あるいは意図的に不正確なことを垂れ流していることを証明できる。

閉じられた履歴書』のあとがきは、このような文章で始まる。

 

 

「娼婦になることは、じつはゆっくりとした自己崩壊の形式である」 ——アメリカの精神分析医H・グリーンウォルドは、その著書『コール・ガール』(中田耕治訳、荒地出版社)の中でこう表現をした。

 

 

このフレーズは、他でもよく引用されているのを見るし、『閉じられた履歴書』から孫引きしているのも見る(角田由紀子著『性の法律学』など)。それほどまでによく知られる本であり、随分前に私も読んでいる。

しかし、兼松さんがこの本を引用していることを読んで、「あれっ?」と思った。読んだのは今から二十年くらい前のことで、『コール・ガール』の中身はそうよくは覚えていないが、私がそれまであまり考えてもいなかった男女の見方、売春婦の見方、ヒモの見方が提示されていることだけは何となく覚えている。

その見方というのは、「ヒモは加害者、売春婦は被害者」あるいは「男は加害者、女は被害者」という兼松さん的な見方(この社会一般になおある見方でもあるのだが)ではなく、ヒモと売春婦とは生い立ちや行動、思考において類似したところを持ち、互いに支え合う共依存的な関係であるという分析である。共依存という言葉は使用していないが。

共依存という考え方は今では一般によく知られるが、私が最初に共依存という考え方を知ったのはこの本だったと思う。原著は一九五八年に出ており、当時としては画期的な見方だったはずだ。

なのに、どうして兼松さんはそのような考えを一切採用していないのだろう。

このことが気になり、また、兼松さんが引用した文章がどのような文脈で使用されたのかを確かめておく必要があるだろうとも考え、再度この本を読んでみた(以前読んだ本は売ってしまったのか手元になく、古本屋で購入した。よくあること)。

※その後、また本は行方不明になり、邦訳の書影がどこにも出ていないので、一九九〇年に出された原書の新装版表紙です。ここにあるように、ハロルド・グリーンウォルドなのですが、邦訳では、兼松左知子が書くようにH.グリーンウォルドになっていたはず。

本書では本文でも「コール・ガール」という表記になっているが、私の地の文章では「コールガール」とする。

 

 

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