松沢呉一のビバノン・ライフ

道徳派を批判する主張をも悪用する道徳派—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 6-[ビバノン循環湯 224] (松沢呉一) -5,111文字-

ハロルド・グリーンウォルド著『コール・ガール』と照らし合わせた結果—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 5」の続きです。

 

 

 

今の日本には到底通用しない内容

 

vivanon_sentence前回見た『コール・ガール』という本は、例の一文以外でも、時々、引用されたり、参考資料として挙げられているので、もう少し解説しておく。

原著が出たのは一九五八年、邦訳が出たのはその翌年。したがって、ここに出てくる証言は、本が出た時点から少なくとも数年、あるいはさらに前の話である。半世紀以上前のものを使用するなら、そういうものとしてしか使用できないことは言うまでもない。

この本はもっぱら精神分析医の元にやってきた患者を分析し、さらにそういった患者に紹介されたコールガールたちの言葉を取り上げたもので、ここから導き出される結論は、その範囲でしか通用しない。この著者は、兼松さんと違い、冒頭でこのような注釈をつけられるくらいには冷静だ。

 

 

私の研究し得たコール・ガールの数は精神分析の対象として六名、個人面接方式で二十名であって、きわめて小さな実例に過ぎない。(略)

彼女たちの全部は治療または個人面接を自発的に求めねばならなかったのであるから、ここに選抜の問題がある。(略)

すべてこの研究が限定した社会的コンテキスト、すなわちアメリカの大都市で売淫を行なっているコール・ガールのそれの範囲内で検討されたことをはっきり確認しておかなければならない。売淫の特色は地方と社会、経済的グループの差異によって異なった形式をとるのであるから、売淫の力学もまた多様であるということになるだろう。

 

 

ここまではいいとして、「ここに述べられている心理的ダイナミックな要素の大部分は売淫の他のタイプにもおそらく適用されるだろうと私は信じている」とも書き、コールガールというたったひとつの売春形式であり、かつ偏った数少ないサンプルであっても、ここに普遍性があるかのような印象を与える。

でもねえ、ここに取り上げられているコールガールは、「元コールガール」を含めても、たった二十六人しかいないのに、歌手や女優をやりながら売春していたり、元美術家だったり、元モデルだったり、コール・ガールを辞めたあと女優になったりしているのがゴロゴロいる。

日本でもバンドをやっている風俗嬢、現役美術家の風俗嬢、元モデル(エロに非ず)の風俗嬢、元アイドルの風俗嬢に出くわすことはあるけれど、それぞれ稀なケースであって、「どいつもこいつも」なんてことはあり得ない。

客も実業家と演劇人と政治家が多く、著者の表現するところの「貴族階級」に属する人々である上に、治療のため、カウンセリングのために来た患者らの話なんだから、この分析の「大部分」が他にも通用するなんて考えにくい。

それでもグーリンウォルドが「これが売春する女たちの標準」と信じた根拠と思われるのが、他の売春婦調査との類似性である。

著者は何人かの研究者の分析を紹介している。まずはカール・エイブラハムの文章。

 

 

不感症は、まさに売淫の必須条件である。

 

 

続いてエドワード・クローヴァ。

 

 

娼婦は、きわめて幼い年令にはっきり家族から離れるものである。

 

 

また、フランク・カプリオは同性愛を淫売の要因として強調している。カプリオの著書は何冊か邦訳されていて、私も目を通したものがあるが、この指摘は記憶にない。

これらの分析は確かにグリーンウォルドが取り上げているコールガールたちに限っては、相当のところまで通用しているように見え、なるほど『コール・ガール』に出てくる女たちは売春婦の典型であるのだなと思わされる。

しかし、今の日本にそれが通用するかどうかについては大いに疑問である。

※図版は米国のエスコートガイドより

 

 

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