不均衡な用法の具体例—「女子」の用法 9-[ビバノン循環湯 233] (松沢呉一) -3,141文字-
「「女」は忌避される言葉—「女子」の用法 8」の続きです。
「友だちの男性」「友だちの男」
報道記事を筆頭とした無署名の文章においては書き手の立ち位置というものが見えないので、「男性」「女性」で統一してよく、現にそうなっているのですが、署名記事では、対象との距離によって言葉が変わって来るため、複数の言葉が使えた方がいい。
署名であっても、すべて等しい距離で文章を書く人は「男性」「女性」でいいとして、「私」の立ち位置を明確にする文章においては、どうしても「男性」「女性」では足りないことがあります。
私は男ですから、自分が属する「男」という性別を落として、「女」という性別を持上げるのはそれほどおかしなことではないとは思います。
「男はエロい。女もエロい」という文章で「『女』は使わないで欲しい」と編集者に言われて。「男はエロい。女性もエロい」と直したところで、それほど不自然ではないかもしれない。
私は不自然だと思えてしまいますので、この場合は「男性はエロい。女性もエロい」で揃えます。
こういう一般論では「男性」「女性」でいいのですが、個別の人を書く時にその距離感というものがありますから、一律に言葉を統一しにくい。
「男の友だち」と「男性の友だち」はニュアンスに違いがあります。「友だちの男」「友だちの男性」も同じで、距離感が違う。個人によって、文体によって、状況によっても変化しますが、「男」の方がいいと感じることがあります。
不均衡が意味するバイアス
私が署名原稿を書く場合、私個人の話として「友だちの男性が」と書くのはしっくり来ない。「友だちなんだから男でいいだろ」と思えます。同じく「女性の友だち」「友だちの女性」より「女の友だち」「友だちの女」の方がしっくり来る場合があります。
「女友だち」は慣用句になっているので、「『女』を使ってはいけない」と考える編集者も「女の友だち」はスルーするかもしれないですが、「友だちの男とメシを食った」はそのままで、「友だちの女とメシを食った」は直す編集者がいるかも。
「女の友だち」の「女」は性別を説明していて、人を表すのは「友だち」であるのに対して、「友だちの女」では、人を指す語は「女」になってしまうため、より乱暴な印象になる事情はわかるのですが、だからこそ、ここでは距離の近さを示せます。それを封じられると、男に比して、女とは距離を縮められないことになります。
男には「男」「男性」のどちらも自由自在に使用できるのに、女には「女性」の選択肢しかないのはおかしい。言葉の自由度が性別によって違ってきてしまう。
ここに性別による不均衡があって、この不均衡は「男は乳首を出せるのに女は出せない」「男はセックスしまくってもいいのに女は叩かれる」という社会の不均衡とおそらくつながっていて、「男は粗雑に扱ってよく、対して女性は大事に扱いましょう」という考え方が反映されています。BuzzFeedのスタッフが言っていたジェンダーバイアスです。
だとしても、署名原稿ではどっちだってよく、アンバランスに使う人がいてもいい。私の場合は「『女』を使いたい時は使わせろ」と思います。
(残り 2020文字/全文: 3369文字)
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