松沢呉一のビバノン・ライフ

雨宮まみの二重の誤り—「女子」の用法 16-[ビバノン循環湯 240] (松沢呉一) -2,760文字-

三十代後半で「女子」「男子」を自称するか?—「女子」の用法 15」の続きです。

 

 

 

再度雨宮まみの主張を検討する

 

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では、雨宮まみの主張を改めて検討してみましょう。

 

 

女性が「女子」という言葉を使うときに、嘲笑混じりの批判を受けるのは、批判する側に「女は若いほうが価値が高い」という認識があるからではないでしょうか。そうでなければ「女子」を自称することに対し「図々しい」という言葉は出てこないはずです。単に「年齢に合わない言葉を使っている」「幼稚で見苦しい」というだけではなく、「若さという価値を失っている女が、価値の高い若い女を指す『女子』という呼称を名乗るのは偽装、許せない」という、強い非難のニュアンスを感じることもあります。

 

 

特定個人を指す場合は広い世代には使いにくい言葉であるにもかかわらず、「この言葉は世代を問わず使える言葉」としてとらえてしまった上で、こう反論した雨宮まみは二重に間違ってます。

実際にどのような言葉で非難されていたのか知らないですけど、「若さという価値を失っている女が、価値の高い若い女を指す『女子』という呼称を名乗るのは偽装、許せない」というのは、自身が書いているように、彼女が感じ取った「ニュアンス」でしかなくて、現実には「いつまで女子と言っているんだよ」と誤用を指摘されていただけではなかろうか。

この指摘は、不適切な言葉を使う滑稽さを指摘したに過ぎないと思います。小学生が「私は男性です」「私は女性です」と言う時の滑稽さと同じ、親が「うちの三歳の子どもはよく泣く人です」と言う時の滑稽と同じさであり、出来の悪いフェミニストが言いそうなところに話をもっていったのが彼女の間違いです。

もし「価値のないババアが若ぶるのはみっともない」といった批判をしているのがいたとしても、そもそも言葉の無理解による用法を選択したのは雨宮まみであり、その無理解に基づいた違和感から始まっている批判なのですから、まず自分の間違いを訂正するのがスジではなかろうか。もしくは正しく「あえて使っている」との主張をすればよかったのです。

政治家が国会の答弁で誤読すれば滑稽でしょう。嘲笑に対して、誤読をしたことに気づかないまま、的外れな反論を返してきたら、「間違えたんだから、まず直せよ」って話でしかないし、これがまた滑稽になってしまおうかと思います。

※東京レインボープライドのパレードとすれ違ったアドトラックに書かれた「男装女子」の文字。韓国ドラマ「雲が描いた月明かり」DVD発売の宣伝です。こういう文字を決して見逃さない私である。

 

 

始まりは自身の甘さにある

 

vivanon_sentence三十代の女が「女の子」と自称していたら、嘲笑混じりの批判を受けるのは当然。同年齢の男が「男の子」と自称していたら、同じような扱いを受けます。六十代の郷ひろみが「僕は永遠の男の子です」と言っても許されるような気がしますけど、郷ひろみより年下でも、私ではギャグとしてしか言えない。

 

 

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