「女子」の使いやすさ・使いにくさ—「女子」の用法 13-[ビバノン循環湯 237] (松沢呉一) -2,570文字-
「上野千鶴子の正しい言葉遣い—「女子」の用法 12」の続きです。
「女子」は使いやすいのだけれども
一般に、本来は「女」でいい場面でも、乱暴に思えるかもしれないため、多くの場面で「女性」を使うようになっています。
対して「男」は今も使いやすい。今もほとんどの場面で使用できます。「友だちの男とメシを食った」「道の向こうから一人の男がやってきた」「男は素晴らしい」「男はバカ」はすべて男でいい。もちろん、「男性」も使える。
「女は大事にしなければならない」という視線がここにはある。「そんなもんいらんじゃろ。男と同じく人として扱えばいいんじゃ」というのが私の感覚。文章の内容にそうする必然性がある場合を除いて、女も男と同じ扱いでよくて、丁寧に扱うのなら、どっちも丁寧にすべきです。報道はそうなっています。
そう思っているのですが、「“女”は乱暴」とするこの社会の視線に抵抗しきれず、かといって私のような話し言葉に近い文体をよく書く立場からすると、丁寧さの入る「女性」は使いにくいケースがあって、その中庸の言葉として私はしばしば「女子」を使います。
おそらくこれは私だけじゃなくて、昨今、「女子」という言葉の使用頻度が高まってきているのだとしたら、「女」が後退したことによるところも大きいのではなかろうか。
やっと話が「女子」に戻りました。
※韓国の駐車場で見つけた表示。近くにトイレもないのになんだろうと思ったら、女性優先駐車場でした。駐車場で女性優先にする必然性ってあるんかな。
追記:秋山理央がこの表示の意味を教えてくれました。こちらを参照のこと。私もこの表示の意味は考えたのですが、授乳やおむつなどで急ぐことがあるってことくらいしか考えられない。そうだとすると母親が子育てを担当する方が有利になってしまい、「おまえが子どもを連れていた方が駐車場を優先的に使える」として、夫が負担をしなくなりそうなので、それはないだろうと思ったのですが、まさにそういう目的でした。だったら、男女問わず、幼い子どもがいると優先にすればいいのに。これでは「母が子を育てるのが当然」という考えを強化してしまいそう。
「女の一生」「女子の一生」の違い
しかし、女子という言葉にも制限があります。改めてこの言葉の特性を見ていきましょう。
モーパッサンの『女の一生』を『女子の一生』とすればその違いがわかりましょう。「女の一生」はある特定個人でも、女総体を描いたものでも、どちらでもあり得ましょうが、「女子の一生」は女総体を描いたものというニュアンスがより強まります。
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