松沢呉一のビバノン・ライフ

としをは三重に失格だった—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 22-(松沢呉一) -2,548文字-

今の時代に同じことが起きたなら—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 21」の続きです。

 

 

 

『女工哀史』にとってとしをは邪魔

 

vivanon_sentence前回出した例を見た時に、印税支払いを打ち切る判断を「同居人としてやるべきことをやっていない」「著作権継承者として不適格」「周りに迷惑」などに求めるのは当然であって、非難されるようなことではない。次の女に乗り換えて遊びまくっていることは、そうなった根本の原因ですし、感情的な不快感を高めることもあるでしょうけど、それだけが問題なのではありません。

おそらくとしをの印税支払い打ち切りも同様だったのだろうと思います。

今の時代でも、としをの行動はあまりに杜撰です。あくまで「この一件については」であり、法の問題ではなく、家族なり、友人なり、運動家が守るべきルールとしてです。性別は関係がない。

「まして当時は」という条件がいくつか加わります。今だったら、「墓なんていらんじゃろ。散骨でもしとけ」という考え方もまたあり。私もそう思いますけど、当時はそうはいかない。

戦前のものを読んでいると、墓への執着は今よりずっと強いし、墓参りについても同様です。ちゃんと調べてみないとわからないですが、埋葬義務についても今より厳しいかもしれない。少なくとも、倫理的にはそうだったと思います。

ブルジョア粉砕という人たちでも墓くらいは欲したろうと思います。本人だけでなく、周りもです。だからこそ、「無名戦士墓」が作られました。

なぜそれすらできなかったのかと言えば、としをは男と遊んでいたから。何かやむを得ない事情によるものではないのだから、家族としての責務を果たす気がないと判断されて当然です。

また、活動家としても「まして当時は」です。「無名戦士墓」は目立たぬようにひっそりと建立され、以降は官憲から鉄条網で覆われて近づけないようにされた時代です(本当にそうなのかどうかはっきりしない。国会図書館で検索してもこれについての記述は見つからない。書けない時代になっていたのでしょう)。

※亀戸の骨董屋店頭に出ている天狗

 

 

左翼活動家が殺されていた時代

 

vivanon_sentence「無名戦士墓」ができたのは昭和十年のことですから、いよいよ弾圧が強まっていた時代ですが、そこに向って、関東大震災時にも無政府主義者、労働運動家が多数虐殺されているのです。そんな時にこれほど無防備な人とは一緒に活動できない。

 

 

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