松沢呉一のビバノン・ライフ

権利を行使するためには権利を理解することから—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 32-(松沢呉一) -3,347文字-

私の反省・高井としをの反省 —高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 31」の続きです。

 

 

 

権利をクリアにしておかなかったことの悔い

 

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印税をめぐる攻防について、としをはこうまとめています。

 

 

私はこんな無権利だったことも知らなかったわけで、婦人の権利とは他人まかせでは守れなかったことの見本ですから、恥をしのんで書いたのでございます。

 

 

これは著作権のことを言っているのではなく、内縁の妻の無権利を言っているのですが、まずは知ること、そして自分で守ることは著作権においても同じです。理解しないと守れない。男も女も関係がない。

そう言いつつ、藤森成吉らはひどい人たちという誘導をしているのがいやらしいとも言えますが、半分は本気で恥じていましょう。

としをはそれまでは遺志会に感謝をしていて、自分のやったことを悔いてました。貧しさの中で「印税があれば」と思うことはあっても、それは自分のせいであると認識できていたのだと思います。

※目黒川の桜。五分咲きってところ。

 

 

婚姻届を出さなくても著作権は得られた

 

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そこまで彼女が理解した上で「婦人の権利とは他人まかせでは守れなかった」と書いたのかどうかわからないですが、籍を入れなくても、としをが確実に著作権を得ることはできました。

和喜蔵がとしをに財産権の譲渡をすればよかったのです。

斎藤美奈子は注にこう書いています。

 

 

現行民法でも婚姻届けを出していない「内縁の妻」の相続権は認められないが、著作権については話し合いによって遺族以外の人や団体も著作権継承者に指定できる。著者の細井和喜蔵が天涯孤独で血縁者がいなかったこと、また著者との関係の深さや仕事への貢献度を考えると、としをに著作権継承者の資格は十分にあったと思われる。

 

 

ん? これって著作権譲渡契約のことなのでは? これは生前やっておくべきことですから、正確に書くと以下のようになります。

 

旧法でも現行法でも婚姻届けを出していない「内縁の妻」の相続権は認められないが、「内縁の妻」であろうとなかろうと、生前の贈与や遺言によって、財産の一部または全部を譲渡することが可能であり、財産権としての著作権も同様。ここにおいては関係の深さや貢献度などは無関係であり、話し合いの有無も要件にはならない。また、第三者が、生前にそうすることができることを根拠にして、死後、その権利があったかのように主張することは認められず、ましてそうしなかったことによって利益を得た人々を非難することは認められない。

 

 

譲渡契約をしておくことができた

 

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贈与税がかかることや法定相続人の取り分を除くことは言うまでもないとして、天涯孤独であったことは法定相続人がいないことしか意味せず、天涯孤独じゃなくても、遺産の相続をすることは可能だし、著作権の譲渡をすることも可能です。当たり前。

血縁者がいるのかどうか、関係が深いかどうか、仕事に貢献したかどうかで資格が決定するのではなく、著作者の意思だけが要件であり、それらはその意思を形成する要因になり得るだけです。形式的には契約書なり遺言書が存在していれば事足ります。

なのになんでこんな妙な書き方をするんですかね。これだと、そんな手続きをやらないまま細井和喜蔵が死んだあとでもとしをが継承するのが当然だったみたい。わざとそう思われるように書いているのか、そもそも正確に理解ができていないのか、どっちなのかわからん。

誰がこれをやるべきだったのかと言えば、契約書の場合は著作者である細井和喜蔵ととしをであり、遺書の場合は細井和喜蔵であって、他の誰もそれはできない。

これができたのに、しなかったのはとしをと和喜蔵の責任でしかなく、他の人のせいではありません。

※青山霊園にあった私の好きなタイプの石灯籠

 

 

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