松沢呉一のビバノン・ライフ

残るは同情のみ—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 23-(松沢呉一) -2,325文字-

としをは三重に失格だった—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 22」の続きです。

 

 

著作権継承の資格なし

 

vivanon_sentenceこの話をわかりにくくしている要因はいくつもあるわけですが、そもそもが滅多にあることではない条件が重なってます。初の書籍がベストセラーになることくらいはままあるとして、ベストセラーの著作者が本が出た直後に亡くなるのは数十年に一度のレアケース。買い取り契約の著作物がベストセラーになるのも数年、あるいは数十年に一度のレアケースです。さらに著作者には著作権継承者になるべき親族がいないのもレアケース。

おそらくとしをに印税が払われたのは、改造社が籍を入れていなかったのを知らなかったわけではなく、支払先がないために、「としをに払っておけ」ということだったのだろうと推測します。これはこのシリーズの最後の方で検討しますが、ある条件のもとでは、印税の支払いは案外アバウトです。

だったら、三冊の単行本については打ち切らず、そのまま払えばよかったではないかという主張もあり得るのですが、揉めた場合、版元が「その人物に資格があるのか否か」を判断する根拠は法に求めることになります。出版社は、「事実婚が成立していたか否か」「どこまでの信頼関係が成立していたのか」「法が妥当か否か」をひとつひとつの著作物について検討し、審判する機関ではありませんから、形式に則る。

さもないと、版元は著作者が亡くなるたびに、その関係について調査をし、聞き込みをしなければ印税も払えないことになり、恣意的な判断で払ってしまうと、次から次と「私は一緒に住んでいた」「情報提供をしていた」「共作だった」「生活費を出していた」「励ました」「酒を飲んだことがある」などといろんな人が出てきてしまって、収拾がつかなくなります。

「一緒に住んでいたのだから妻だろう」ということで支払ってきたのが、「籍を入れていなかった」とわかった以上、支払いの義務はない。それ以前から、「籍を入れていなかった」とわかっていたにもかかわらず支払っていたのであれば、版元の好意でしかない。その好意が踏みにじられた以上、支払わないという判断はなされていい。

その判断は版元にとっては「本を売ることの妨害になる」「本の趣旨を踏みにじる」ということで十分だろうと思います。

 

 

墓を作らず浪費したことが間違い

 

vivanon_sentence婚姻関係にないのに印税を支払った、つまり最初っから法に基づいて印税が支払われたわけではない点も判断を鈍らせていようかと思います。

それを批判する側は、法を超えた倫理なり、論理を求めているわけですが、同じく版元は法ではない倫理や論理で払ってきたわけです。それがいけなかったかもしれない。あたかもそれまで払われていたのが当然であるかのような印象を作り出してしまう。

話の順序が逆だったとしましょう。改造社は法に則って、としをに印税を払わず、最初から遺志会に印税相当額を払う決定をします。しかし、それではとしをは生活に困る。そこで改造社は半年間だけ印税を支払うことにします。その分、遺志会に払う金は減りますが、どのみち、これらは払う義務はないものですから、遺志会も文句はつけにくい。

数年間、働かずに生活できるだけの金をとしをがあっという間に新しい男と使い果たし、「もっと寄越せ」と言い出したら、相当に印象が違ってきます。印象は違いますが、内実は同じなのです。

最初から「半年限定」ということであれば、としをも自重して、浪費はしなかったかもしれないのですが、ガンガン入ってくるからと言って、浪費したことが間違いであることが見えやすくなりますし、そもそも払う必要がないものを払っていたことも見えやすくなります。

※亀戸の味噌屋。全国の味噌が買えます。ここで味噌を買ったのに、電車に忘れました。

 

 

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