松沢呉一のビバノン・ライフ

「東京新聞」の記事を検証する—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 9-(松沢呉一) -2,673文字-

二種の買い取り—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 8」の続きです。

 

 

 

東京新聞の記述

 

vivanon_sentence検索してみると、印税問題については『わたしの「女工哀史」』とその解説から受ける印象をそのまま信じてしまっている人たちが多くて参考にならない。

中では、「東京新聞」がこの問題について踏み込んだ記事を掲載しています。二〇一五年六月十四日付「こちら特報部」です。この年の五月十五日に『わたしの「女工哀史」』が岩波文庫になっているので、それを受けた記事です。

当該記事は、このブログに出てました。以下、必要な部分だけ引用します。右の写真もここから借りました。拡大すると全文読めてしまいますけどね。

印税についての記述。

 

和喜蔵の死の直後、改造社の山本社長は印税として、としをに二千円(現在の約百万円)を渡した。だが、としをはやけを起こし「この金が三カ月前にあれば、細井父子の命は助かっていた」と、飲食や高級着物に浪費。怒った作家の藤森が、としをが和喜蔵と内縁関係だったことを理由に、女工哀史の表舞台から遠ざけたという。

藤森は印税の使途を「『細井和喜蔵遺志会』の名で紡績や蚕糸産業労働者の解放運動に使った。一番は蚕糸労働者のための宣伝パンフレット作成と、無名戦士之墓の建立」と記している。

女工哀史は五四年、岩波文庫に収録された。旧著作権法の下、印税は五五年まで発生した。当時の価格と部数から試算すると、年間数十万円(現在の百万-二百万円)になる。無名戦士之墓の建立は三五年で、以降、この金はどこへいったのか。

周辺を調べるうち、印税の最後の受取人と思われる人物にたどり着いた。「山本銈」。五二年に死去した山本社長の二人目の妻だ。銈氏が受取人だった理由について、鍵を握るのは岩波書店と出版交渉した藤森だが、孫の男性は、取材に「経緯は聞いたことがない」と回答。鹿児島県薩摩川内市にいた山本社長の親類も亡くなり、真相は闇にうずもれた。

 

踏み込んではいるのですが、これも問題ありで、誤解を招きます。というか、記者自身が誤解しているとしか思えません。

 

 

next_vivanon

(残り 1930文字/全文: 2834文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック