松沢呉一のビバノン・ライフ

下目黒に引っ越したのは目黒線開通のためか—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 29-(松沢呉一) -2,486文字-

下目黒の土地価格—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 28」の続きです。

 

 

 

細井和喜蔵が亀戸に戻った本当の事情

 

vivanon_sentence下目黒について「こんなブルジョアくさいところで暮らすのは飽きた」と細井和喜蔵が言ったと高井としをが書いていることに対して、 下目黒とまでは言わず、ただの目黒にしておけばばれやしなかったのに」と指摘したのは訂正です。目黒全体ブルジョア・イメージなどありませんでした。そう書いてくれたからこそ、私はとしをの言うことは信用ができないと気づいたわけですけどね。

目黒や下目黒という広いエリアではなくて、もっともっと狭いエリアではたまたまそう思わせるような事象があった可能性があるので、「噓」とまではなお言えないですが、細井和喜蔵がそう言った可能性は限りなく低い。もしそう言った事情が何かあったのなら、その事情を説明するってもんでしょう。「近所に新興の金持ちが住んでいた」とかなんとか。通常は言わないことを言っているんですから。

ブルジョアを心底憎む細井和喜蔵の姿を浮かび上がらせるには効果的ですが、『女工哀史』の買い取り金が入ったから気分で引っ越し、なにかしらの気に食わないことがあって、すぐにまた亀戸に戻る。この行動自体、本当に貧しい人はできない。

現実には亀戸には町工場が多く、長屋の声も聞こえてくる。もっと静かなところで執筆したくなって、閑静なはずの場所に引っ越したら、休みの日や祭りの日は目黒不動尊にわんさか人が押し寄せて、喧噪で原稿が書けないため、もとに戻ったなんてところじゃなかろうか。

あるいは逆に林業試験場近くに住んだため、静か過ぎて執筆できなかったとか、ヤブ蚊が多かったとか。私もわりとそうなのですが、ある程度の喧噪の中にいた方が原稿は進むことがあるんです。

※目黒区役所。この辺は戦前からそこそこ高値。と言っても東京市内とは比較にならず安かった。

 

 

改造社までの交通の便

 

vivanon_sentence亀戸から下目黒に引っ越したのは、執筆環境を求めたのではなく、交通の便を求めてかもしれないと思って念のために確認してみました。

偉くなれば原稿を家まで編集者が取りに来てくれたでしょうが、新人だと、改造社に原稿を持って行ったのではなかろうか。郵送もできたでしょうけど、万が一届かなかったら、書き直しです。コピーもないですし。安全とスピードを求めるなら自分で届けるしかない。

改造社は芝区愛宕にあり、ちょっと歩きますけど、地下鉄のなかった時代の最寄り駅は新橋です。当時の鉄道状況を調べると、亀戸からだと、総武本線に乗り、両国駅で乗り換え、東京駅で当時はまだ環状が完成していなかった山手線で新橋駅へということになろうかと思います。今より不便で、二度乗り換えです。

 

 

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