松沢呉一のビバノン・ライフ

今の時代に同じことが起きたなら—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 21-(松沢呉一) -3,012文字-

旧民法と結婚の意思—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 20」の続きです。

 

 

こんな話はどうでしょう

 

vivanon_sentence別の例に置き換えてみましょう。時制を現在として、バイアスがかからないようにするため、男女を入れ替えます。

貧しい生活の中で貧困問題をテーマにしたルポを書き続けている知人の女性がいます。貧しいながらも彼女はライターとして生計を立てています。

その原稿を見た私は「これは本にすべき内容だ」と確信し、懇意の出版社に持ち込みます。

この会社は実売部数の印税ですが、彼女は執筆に専念するため、金が早く欲しいと言います。そこで、買い取りの条件を出版社が提案し、彼女はその条件に合意します。

一年後にやっと完成し、発売になるのですが、長らく病に伏せがちだった彼女は、本が出た直後に亡くなります。本はベストセラーになって、次々と彼女の本が出版されます。どの原稿をどうするのかを決定し、原稿をチェックして、編集者とやりとりをするのは私。

彼女と同棲していた男もまた貧困問題の活動をしていて、亡くなった直後はうちひしがれますが、間もなく運動にも復帰して、インターネットや雑誌で、「あのベストセラーを書いた作家の夫」として脚光を浴び、嬉々としてメディアに登場。

しかし、そのうち好きな女ができて、印税を得ると、働きもせず女と遊び回り、車を買ってすぐに飽きて人にくれてやる。その印税で墓のひとつも作ればいいのに、作る気配がない。

「無名戦士墓」の「解放運動」の文字。これは戦後加えられたもの。

 

 

資格を放棄して金を請求することが正当なのか否か

 

vivanon_sentence私に限らず、亡くなった彼女と運動を一緒にやっていた人たちはいい気持ちはしない。たしかにその男も執筆に協力していたのですが、仲間たちも協力をしてきてきて、そのことは本にも記載されています。

「自分らだってブルジョア同様に車を買ってもいいのだ」として浪費するのを見たら、「このままではそいつと新しい女が全部使ってしまう。せめて墓くらい作ってやれよ。うちにある遺骨をなんとかしろよ」「そうも金が入ってきたらカンパしろよ」と思うのは当然ではなかろうか。

得た金を何に使うのも勝手ですけど、「やることをやってから言え」ってことであって、貧困をテーマにした本の印税でブルジョア気分で使いまくることを彼女が望んだとはとうてい思えない。

このままでは一周忌にも墓参りができないではないか。そんなことを皆で語り合うのですが、それでも口出しはしにくい。自分の金をどう使うか好きにすればよく、本人は幸せそうです。まっ、ほっとけばいいか。

しかし、そのことが「週刊新潮」に暴かれます。こうなると、今度は本にとっても運動にとってもダメージになって、本人の問題だけではなくなります。

そこで出版社の社長や私ら知人らが話し合って、「支払いをストップしよう」との結論になります。「あいつを切って本のダメージをなくさないと浮かばれないぞ」と。

それを提案しても彼は聞く耳を持たず、その場に女を連れてきて、「結婚するから金寄越せ」とごねます。

突っぱねたら、男は女も捨て、遺骨は人に預けて行方をくらませます。やっぱりそんなヤツだったなと皆でイヤーな気持ちになります。

我々は出版社と交渉し、買い取りではありながら、売れているので、彼女の遺志会を作って印税分を振り込んでもらい、墓を建て、残りは貧困問題の活動に使います。

数年後、男はのこのこと墓前祭に現れ、「遺志会にいくら入って、どう使っているのか」と聞いてきますが、無視です。

そのことを恨みに思ったか、「親に反対されたために籍を入れられなかっただけで、事実婚は成立していた。生活費を出していたのだから、印税はオレがもらうべきものだ」との主張を始め、その仲間たちは「共作だった」とまで言い出します。

※「無名戦士墓」に供えられた花。花が左右にあり、どれも新しそう。数万という人が眠っているので、訪れる人は多いのでしょう。

 

 

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