松沢呉一のビバノン・ライフ

貧乏バイアスを利用—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 19-(松沢呉一) -2,758文字-

細井家の家計—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 18」の続きです。

 

 

 

あれば使う和喜蔵ととしを

 

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女工哀史』の買い取り金が入るまでは、和喜蔵の原稿料が月に二十円から三十円、としをの収入も同じ程度だったかと思われます。兵庫にいる時は和喜蔵も工員として働いていますから、その時は和喜蔵の方が多いですけど、あとはどっこい。つまり一方的にとしをが働いて食わせる関係ではありませんでした。

あとがきにはこうあります。

 

『女工哀史』を執筆中の夫の生活を助けるために女給になったり、死にもの狂いで働きました。

 

としをは懸命に『女工哀史』のために自分は働いた、よって『女工哀史』は自分の働きによって誕生したというアピールをしていますが、ここまで見てきたように、自身が語っている経済状況と合致してません。完全に隠せばいいのに、端々から彼女の主張に反する事実が漏れてきてしまう。そこが杜撰であり、正直でもあり。

和喜蔵の日常的な原稿料についてはほとんど触れておらず、そこまでを含めて計算をすると、最後の一年間について言えば、和喜蔵は自分の生活費を自分で十分に稼いでいました。としを自身の生活費は自分で稼いでいたとして、経済的貢献は実のところゼロに近いのではないか。

女工哀史』『工場』『奴隷』『無限の鐘』掲載の原稿は雑誌が初出だったのかどうか。それ以外にも原稿は書いていたのかどうか。それらを調べると、物書きとしての収入がだいたいわかります。

著作権継承の資格と経済的貢献は無関係ですけど、これを確定させるため、暇ができたら国会図書館に行ってこようかとも思っています。書いていたのは「改造」だけではないでしょうが、国会図書館には一号を除いて「改造」が保存されています。三年間の結婚生活で、細井和喜蔵がどの時期にどの程度原稿料を得ていたのかが見えてきそうです。

※まだ亀戸が村だった時代のことでしょうが、亀戸の名産は大根でした。香取神社にある大根の碑。

 

 

としをの書くことの矛盾

 

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和喜蔵やとしをが自分らで稼いだ金を何にどう使うも自由。正当に得た金で着物を買うも、牛肉食うも、引っ越しをするも自由。細井和喜蔵の清貧なイメージとは違いますが、このことで『女工哀史』の価値がなくなるものではありません。労働に見合った報酬を得られれば、女工たちも同様の生活ができるわけですから、皆がそういう生活ができるように労働改善をすべきという主張は間違ってない。

問題はそのように金を使ったことではなくて、それをとしをが隠そうとしたことにあります。隠した上で、和喜蔵が貧しさのために死んだかのようなことを言ってはいけない。自分の浪費が貧乏のせいであるかのようにごまかしてはいけない。自分の貢献度を過剰に見せかけてはいけない。それは噓になる。

 

 

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