松沢呉一のビバノン・ライフ

文句言うなら著作権を理解しよう —高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 24-(松沢呉一) -2,444文字-

残るは同情のみ—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 23」の続きです。

 

 

 

おそらく話し合いの場で細かい説明がなされたはず

 

vivanon_sentenceとしをが印税というものを理解できていなかったことも混乱の原因になっていそうです。

としをは和喜蔵が文筆で生計を立てていることの実感がなかったように、印税もよくわかっておらず、買い取りもわかっておらず、だからこそ、片山哲にとしをは「私たちが、貧乏で苦しい生活を長年たえ忍んで書いた『哀史』と『工場』の印税が、今さらブルジョア政府にとりあげられるなんて、そんなばかなことは私はがまんできません」と言ったのではないか。

この時、改造社から説明を受けたのだと思います。「『女工哀史』はこれこれこういう事情でこういう条件になり、それについてはもう支払っているんですよ」と。おそらくとしをは、その金の意味をこの時になって初めて理解したのだろうと推測します。それでも十分理解できていなかったかもしれないですが。

としをは払われた金額についてはそこそこ詳しいのに、それらが何の印税かの説明をしていません。『女工哀史』については金額も覚えていない。その意味がわかっていたのだとすると、細井和喜蔵の初の著作の買い取り金を聞くでしょうし、その額を忘れないと思います。

もしその意味がわかっていて、「たいした金額ではなかったのでしょう」としたのだとすると、「『女工哀史』ではたいした金しかもらっていない。もっともらえるはずだ」という主張が込められていそうです。単行本一冊分の買い取りですから、決して安い金額ではなかったはずですけどね。

この段階では毎月次々と支払われる金がなんの金かもわかっておらず、そのために、『女工哀史』が売れていることを知って、当面、大金が入ってくるのだと勘違いし、「使っても使っても入ってくる。墓のことはあとで考えればいい」と。「無限の金」です。

出版のことをよく知っていれば、それらの単行本の印税は、最初に大きい額が入ってきて、あとは時々入ってくるだけ。尻上がりで金額が増えるのは異例なロングセラーの場合だけです。しかし、たまたま連続して本が出たため、としをはそれと『女工哀史』とを誤解したのだろうと思います。

※くずもちで知られる船橋屋。二百年の歴史があるそうですが、建物は戦後のものでしょう。船橋屋以外にも、亀戸には古い和菓子屋が多くあります。そういえば、昭和初期の猟奇事件、「淫獣倉吉事件」の増淵倉吉も亀戸で菓子職人をやっていました。関東大震災を契機に名古屋に移り住んでいて、和喜蔵ととしをと同じ時期に亀戸にいたことになります。

 

 

権利を放棄したのはとしを自身

 

vivanon_sentence印税の支払い打ち切りに関する話し合いは複数の相手と何度かなされていて、最後の切り札はそれだったとしても、「内縁の妻には相続権がない」なんてシンプルな話ではなかったでしょう。

私が改造社の山本実彦だったら、「著作権を継承するのであれば作品を尊重しなければならない。私も尊重して、多くの人に読まれるようにするのが責務だ。しかし、あなたのやっていることは作品を貶めて、それが多くの人に読まれることの妨害になる。法律上では、あなたには継承する権利がないが、遺志や作品を尊重する限りは我々もそこを問題にすることはない。だから、ここまで支払ってきた。しかし、ここまでのあなたの行動を見ると、それを踏みにじるものだ。細井君が今のあなたを見たらどう思うか。あなたがブルジョアの真似をして贅沢三昧をするために命を削って『女工哀史』を書いたと思うのか。そのことが仲間たちにどれだけ迷惑なのかわからないのか。あなたが『女工哀史』のために貢献したことを認めるからこそ支払ってきた。今まで手にした二千円を返せとは言わない。しかし、それで十分じゃないのか」なんてことを言ったでしょう。

それでも聞き入れず、「高井信太郎と結婚するから金寄越せ」と言い続けるのであれば、法によって作品を守り、細井和喜蔵の名誉を守るしかない。

 

 

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