松沢呉一のビバノン・ライフ

私の反省・高井としをの反省 —高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 31-(松沢呉一) -3,216文字-

間違いだらけのとしをの記憶—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 30」の続きです。

 

 

 

私の反省

 

vivanon_sentence黙っていようかと思ったのですが、告白しておきます。私は高井としを著『わたしの「女工哀史」』を読んで、いったんは「藤森成吉らに印税を掠め取られたのか、ひどいな」といった書き込みをFacebookにしてしまいました。

その段階では斎藤美奈子の解説を読んでおらず、解説を読んで「合作・共作」という主張がなされていることを知って、「ちょっと待て、そういう主張だったら話が違う」というので、もう一度該当部分を読み直し、「合作・共作」なんてことは考えにくく、さらにはとしをの書いていることを読んでもやもやしていたことの正体に気づき、数時間でFacebookの書き込みを消しました。夜遅くだったため、誰も反応してなかったのですが、気づいた人もいるかもしれない。お恥ずかしい。

いったんはとしをの主張に同意してしまったことの反省、藤森成吉らを悪者にしてしまったことの申しわけなさ、「まんまとやられた」との腹立ちが、ここまでこの本に悪い意味で執着した理由になっています。それにしても執着しすぎましたが、それはボロボロと粗が出てくるからです。

このために睡眠障害の症状も出てしまって、うんざりしてます。とっとと終わらせます。

※「無名戦士墓」だけあって、ここに眠っている人たちの名前は記載されていないのですが、細井和喜蔵遺志会の名前は彫られています。藤森成吉もここに眠っており、ひとたび疑ったことに謝罪をしてきました。

 

 

浅知恵だったととしをも認めている

 

vivanon_sentenceもやもやしたものの正体とは「としをは本当は莫大な印税を手にすることができたのだ」という主張に沿った物語がそこかしこに語られていて、その物語が破綻しているってことでした。

実のところ、印税に関するとしをの主張は控えめです。「合作・共作」なんてことは言っておらず、印税が打ち切られたことに対して恨みがましいことをほのめかしているだけで、はっきりと不当であるとは言ってません。はっきり言ってなくても、その端々からそう読めるようになってはいますが。

その一方で、としをは自分の非を認めているとしか思えない記述がいくつか出てきます。だからこそ、私はとしをを理解しようとしました。

高井信太郎とともに抗議し、けんか別れで終わったあと、こう書いてます。

 

その時私は、たとえ藤森先生でも、赤の他人がなんで私に結婚してはいけないというのか不思議に思いましたが、自分のこれから先がどうなるか、そこまで考えおよばなかった自分の無知を恥じる次第でございます。

当時二十三歳だった私は、金がなくなったら働けばよい。夫も子どもも亡くなって、自分一人くらいなにをしても生きていけると思っていたのですが、それも女の浅知恵だったのです。

 

彼女は説教された内容を時間差で理解し、自分が「無知」であり、「浅知恵だった」と反省していきます。

金が少なくなってきたため、彼女は働こうとするのですが、工場でもカフェーでも「新聞に出ていたあの細井和喜蔵の妻」ということで雇ってくれず。名前や顔が知られてしまったため、工場は「ストライキでもやられるのではないか」「また書かれるのではないか」と恐れます。

あざといカフェーだったら名前を利用して宣伝に使うこともあったかもしれないですが、まともなところだったら、新聞騒ぎになるのは避けたいでしょう。

そこでとしをはやっと悟るわけです。『女工哀史』のヒットによって、自分の存在は今までと違うものになっていて、自分の一挙手一投足が他者に影響を与え、自由にやることで自由は狭まる立場になったことを改造社や藤森成吉は指摘していたのだと。

しかし、時はすでに手遅れでした。墓を作ろうにも金はもうなく、新聞に書き立てられて名前や顔まで知られてしまってました。

※「無名戦士墓」を横から見たところ

 

 

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